人物画像鏡(9) -開中費直-

このシリーズを楽しんでいただけていれば幸いである。或は日本史の根幹にあたるとも考えられるので、じっくり読んでいただき、足りない部分を補っていく作業をゆっくりご一緒に考えたい。
今回も前回と同様、難解な「開中費直」を取り上げてみる。自分の中ですらこなれていないが、私のたどった道のりを見ていただくのも何かの参考になるかもしれないと思うので、書くことにした。
これまで、「開中(かはち)費直(あたひ)」と読まれてきた。ここで少し仮名のおさらいをしておく。「開」は仮名音で言えば「カイ」「ケン」あたりで、この場合その一部である「カ」を音借の仮名と考えているらしい。「中」も同様に考えれば、「チ」を借りていることになる。
だが「カハチ」の「ハ」は、「開」「中」のいずれにもその音素が含まれず、「開中」を「カハチ」と読むのは当て字に近い。すでにこれが慣習化された表記になっていた可能性もないことはないが、仮名の成立からすれば突飛である。
「斯麻」「意柴沙加」「今州利」など、百済での仮借と『古事記』の仮名に偶然とは思えない繋がりがあった。これを逆に考えれば、「開」「中」はともに『古事記』及び万葉の仮名にはないから、百済語ないし漢語ということになる。この場合、百済の地名および官職名に見当たらないことから、漢語と解するのが自然ではないか。だが、「開中」はそれとして漢語にも用例がない。
とすれば『廣韻』に「開 開解」とあり、音義ともに近いので、当時百済で有力だった「解」氏の仮借ないし転注と考えられないだろうか。国名や姓といえども、この時期には表記にある種の「ゆらぎ」があった。この場合、「中」は「内」で、解氏の姻族か食客という程の意味になりそうだ。或は「開中」を素直に「門中」とし、「王城門内」と解するのがよいかもしれない。
「費直」もまた『古事記』の仮名にはないから漢語として、「穢人・今州利」と対比させれば「開中・費直」であり、「今州利」と同じく人物名とも読める。
漢代ではあるが、費氏で祖にあたりそうな同名の人物が実際いたことからも、「費直」は一字姓一字名で、中国から百済へ渡来した者、或いはその子孫と解せないか。費氏は易に関して存外有名な大族であり、彼がこの鏡の縁起について指導したとも考えられる。