ゆるやかな自殺

いつか約束したテーマである。つれづれのままに思い浮かぶことを書くことにする。
私はタバコを吸う。公共の場所は勿論、我が家でも吸えるところが限られている。何もそんな不自由をしのんで吸うまでもあるまいが、一度もやめようと思ったことはない。若い時は、生意気にもパイプをふかしていた。これも面倒になり、いつのまにか、手軽にいつでも好きな所で吸えるタバコになってしまった。
タバコは周りの人に煙を吸わせると害になるから、一人で景色でも眺めながら吸うことにしている。まあ、肺がんになってもしかたがない。
私は、甘いものが結構好きである。生菓子からスナックまで、時と場所をわきまえず食べることがある。下腹がめっきり出てきた。血圧を測ってみる習慣もないし、心臓が健全と言うわけでもないから、循環器系の病気、たとえば脳溢血で倒れても文句は言えない。こういった生活習慣に関わる病気は、日頃の節制が大事らしい。
私はのろまであるにもかかわらず、バイクに乗ると、条件がよければ結構スピードを出し、カーブでもそんなには落とさない。カーブに砂があって、そのままズルズル滑って転び、ひどく擦りむいたことがある。これは一般に交通「事故」と呼ばれているが、私の場合は必然性があったように思う。ただでさえ状況判断が下手なのに、年を取ると視界が狭くなり、さらに危険度が増している。
世間での信用というやつも、なかなか厄介である。自分では変わらぬ言動をしているつもりでも、人を傷つけていることがある。自分の価値基準を強く意識した時が危ない。これは、いわば人間関係における「死」ということである。
人間に決まった寿命というものがあれば、精一杯に生きるだろう。やり残しをできるだけやっておきたいと思うかもしれない。だが多くの場合、ゴールが明らかでないと錯覚するので、毎日ゆるやかな自殺行為を繰り返しているのだろう。