人物画像鏡(10) -日十大王年男弟王-

今回はこの鏡で最もデリケートな、「日十大王年男弟王」を取り上げてみる。諸説あり、二三代表するものはあるが、定説とされるものがない句である。まず、これが一人の王名であるのか否かを確かめなければならない。
すでに「開中費直」などで、『古事記』の仮名でないものをほぼ漢語と考えてきた。「年」「男」「弟」「王」もそれぞれ『古事記』の仮名ではないから、「男弟王」を漢語の句と考えることもできる。
さて、「日十大王年男弟王」では「王」が、それとして、二度使われている。私は「日十」を、「日夲」と読み、国名だと考えている。これは前後の文脈としても、左程無理があるとは思えない。そこで、『宋書』を中心にこの画像鏡と近い時代の用例と比較してみよう。
1 百濟王餘映 百濟王餘毘 (『宋書』百濟条)
2 倭國王濟 倭國王珍 (『宋書』倭國条)
3 倭王武 (『南齊書』倭國条)
4 百済斯麻王 (武寧王墓碑銘)
1と2は「国名-王-名」、3も「倭王」は「倭国王」と考えてよさそうだから「国名-王-名」、4は「国名-名-王」となっている。いずれも一人につき王が二回使われている例はない。
これらと比較してみると、「日十大王年男弟王」を一人の王名と考えることは難しく、「日十大王年・男弟王」の二人と考えることが出来るのではないか。この場合は、1から3までの用例から、「日十大王年」を「日十(国名)-大王-年(名)」と解せる。但し、「大王」と「王」は敬称としての差があるとしても、格としては変わりがない点に注意したい。
「日十大王年男弟王」を「日夲大王年とその男弟王」の二人と考えると、様々な局面で日本史の根幹に関わる問題が出てきそうだ。