仮説

如何なる科学であれ、誰かの説を踏襲するだけでは面白くない。どこかで自分のオリジナルを出したいと思うだろう。言語学や歴史学などのいわゆる社会科学でも、ことは同じである。
明らかに矛盾があると思い、どうにも納得いかないことがあっても、あれこれ考えた上で、自分の力ではどうにもならないと諦めてしまうことが多い。残念ながら、これが現実というものだ。疑問に感じたことを何とか広く知らしめ、共有の知識とするには、確かに周到な準備と運が必要だろう。
たまたま私は、コラムという窓口を持っているので、幾らかチャンスがあるかもしれない。例えこういった手段を持っていなくても、意欲さえあれば、個人の窓が開ける時代である。我々市井の人間でも、少々方法を身につけさえすれば、諦めなくてよいかもしれない。そこで雑ではあるが、私のやり方をここで簡単に書くことにした。
1 まず、自分の感じた矛盾を他人の目で確かめてみる。学説史を勉強してもよいだろうし、ネットで検索するなども悪くない。
2 時にやむを得ないとしても、私は「批判」「評価」などの方法が好きでない。目にしたそれぞれの考えを出来るだけ、それとして受け入れようとする。だが記憶力に自信がないから、消えてしまうものには拘らない。
3 時間を経ても自分の考えが消えてしまわないものについては、愛着も湧いてくるので、なんらかの仮説として組み立ててみる。
4 いろいろ構想を練って、あれこれ実証してみる。実は、これが楽しいのである。
5 誤りを恐れず、これを友人や知人などに話してみる。
まあ、この辺りで折れてしまうのが普通だが、中にはより視野の広がる考えが生れることもある。
「どうせ私の考えたことだから、つまらないに決まっている」と言わないで、大いに大人の科学をしようではないか。