虚空蔵菩薩の左手

国宝になっている神護寺の虚空蔵菩薩像では右手に如意宝珠、左手に宝剣をもつ形である。これに対し郡上美並の星宮神社にある像では、右手に宝剣、左手に珠を持っておられる。今のところ、私はこの持ち替えを平安後期から鎌倉時代にあてている。虚空蔵が左利きかという点を含め、今回は左手に持っている宝珠について幾つかの観点から考えてみたい。
『説文』入門(27)で、「珠」が水精で、目に関連することは示せたと思う。ここでは本来の定義に従って、話を進めることにする。
星宮神社の虚空蔵菩薩像が左手にもつ如意宝珠は水晶でできている。ふくべが岳で水晶の採掘されていた跡があるようだから何ら不思議ではないが、これを丸く細工して球体にすることは簡単ではない。どうしても丸い珠にする必要がなければ、こんな難しいことをするはずがない。
虚空蔵は本来知恵と慈悲の菩薩であるが、ここでは明星天子と捉えられ、通常は明の明星つまり金星を意識させている。曇ってしまえば星は見えないから、直ちに雨と関連すると考えるのは問題がないわけではないが、逆に大雨を制御することを期待されたとも考えらよう。
私は、少なくともこの如意宝珠を大蛇の目に見立てた時代があったと推測している。黒雲を呼び大雨を降らすのは大蛇であり、その化身としての龍である。暴風雨から洪水となれば、田畑のみならず家や人の命まで奪う。何としてもこれを食い止めたい。虚空蔵が持つ如意宝珠を大蛇の目に見立て、これを左手に持たせて、水神の力を制御することが期待されているのではないか。
至るところに残っている「蛇女房」系の話で、大蛇が自ら取り出した目を舐めさせると赤ん坊の空腹が満たされる筋も印象に残っている。これもまた、大蛇の目がもつ不思議な威力を物語っている。
一方で水神が水種を与え、他方で虚空蔵が剣と珠で水害を制御することが対になっている気がする。とすれば、虚空蔵菩薩が水神を抑えるものとして「定着した農耕民」に受け入れられた例と考えてよいかもしれない。
星宮神社の場合、仮に虚空蔵に利き腕があるとすれば、右手に剣を持っているので右利きだろう。だが、左手に珠を持っている点を強調しているとすれば、伝承に目くじらを立てることもない。