『説文』入門(28) -「衙頭」-

「筑後國風土記」逸文に漢語ないし漢語風の用語があり、これを「筑紫君-磐井」が倭王武かまたは彼の系譜をひくと考える根拠の一つに挙げた。今回はそのうち、「衙頭」を取り上げてみたい。
『説文』では「衙 衙衙 行皃 从行 吾聲」(二篇下174)で、段氏は「按衙衙是行列之意 後人因以所治爲衙」としている。許愼の解である「衙衙」を「行列の意」とし、後に「所治爲衙」となったと云う。
音については「魚舉切 又音牙」だから、仮名音で「ゴ」「ギョ」あたり、また「ガ」とも読まれた。『三國志』『晉書』あたりで「衙」「牙」を仮借字として使う例があり、『玉篇』の「魚加切」、『廣韻』の「五加切」(下平聲巻二 麻九)の音が優勢になっていく事情がつかめる。
「衙門」は「牙門」のことで、「府門」の例もある。また「公牙」「公府」の例があり、「衙」「牙」と「府」が通じている。「牙」は、「牙旗」が大將軍の行進時に使う旗だから、確かに「衙」「府」と解せるだろう。
徐鉉『説文』では「頭 首也」(九篇上002)、段氏『説文』は「頭 頁也」で、後者は「頭」「頁」が転注である。但し段注の「頁也」は、厳密には「頁」の一部に過ぎないが、フォントの関係でお見せできない。まあ、「頁也」としておく。
『釋名』では「頭 獨也」(釋形體第八・25)で、「唯一の、かしら」あたり。
ただし、「暮宿黑山頭」(古詩「木蘭詩」)から、「頭」を「ほとり、あたり」に解することがある。
だが、逸文「衙頭」の脚注が「政所也」であるし、「ほとり、あたり」の用例も左程多いとも思えないので、『廣韻』の「衙 亦衙府」を採用して、「衙頭」は「政所」つまり「政府」「government head office」と解したい。とすれば、「磐井君」の政府はこの古墳の近くにあったことになる。
倭王武が漢語を駆使して中国との外交を独占したことから、文字の独占が倭国の存立基盤の一つであっただろう。史料は限られているが、「衙頭」「偸人」「贓物」が恐らく漢語であり、「墓田」「磐井」「解部」が漢語ないしは訓読みされていると思われ、磐井君に関連する用語すべてで、漢語に熟達していたことが分かる。この視点からも、私は彼が呉系倭国の系譜を引くと考えている。
但し「磐井」は一字姓、一字名ではなさそうだから、倭王武その人ではなく、彼を継承した者とも読める。

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