大叔父

私がうっかり間違えたからといって、難しい話ではない。
この間、母親の法事に出かけてきた。十何回忌かであるから、死にまつわる凄まじさが既に消えており、なかなか楽しかった。ささやかではあったが、一族の出かけられる者が集まり、親族のつながりを確かめられたということだろう。
細かい記憶が薄れてきたからか、かつての行き違いも和らぐものらしく、まあ和気あいあいの雰囲気だったと言ってよい。これは時間が傷を癒す例と言えるかもしれない。
中に元気のよい子供が何人もいた。殆ど今回初めて会った子達である。まだ六月なのに真っ黒に日焼けした子が多く、私は一目で彼らが好きになってしまった。中には用心深い子もいるにはいたが、時間がたつにつれ、少しずつ打ち解けて話せるようになったのは幸いであった。
ふと彼らに鉄棒の逆上がりができるかを尋ねると、何人かはできると言い、何人かはできないと言う。私は、うる覚えだが、小学校の高学年でやっとできるようになったと思う。彼らがいいところを見せようと逆立ちしたり、大声で日常をわれ先に話すので大いに楽しませてもらった。
この話の後だったか、この子たちに何気なく、「おっちゃんはなあ」と言っている自分に気がついた。すでに何回か言ってしまった後だと思う。はっと気づいた後、不思議な気分になった。大体こんな時は何事か間違っていることが多い。
よく考えてみれば、彼らの爺さんが私の兄にあたり、彼らの親が私の甥や姪にあたるわけだから、「おっちゃん」ではおかしい。
もうすっかり時代が変わり、わたしは「おお叔父さん」になっていたのである。寸法通り生きているつもりであったのに、時間のほうが先に進んでしまい、身の丈が実感できていなかったことになる。
因みに私は末っ子であるから、彼らにとって私は「大季父」であり、まあ「大叔父」でもよいが、「大伯父」ではない。私の孫に対して兄が大伯父である。