『説文』入門(31) -「以」-

卜辞で「以」は象形字。『説文』の篆書体では文字化けしそうであるから、「以 用也 从反巳 賈侍中説 己意巳實也 象形」(十四篇下178)という形で引用しておく。
「从反巳」は、「巳」の左右を逆にした形という意味。ここでは会意ではなく、指事又は象形字だと考えられている。字形からして厄介だが、ここで長々触れるわけにもいかない。
『玉篇』は「今作以」とし、『廣韻』は『説文』の篆書体を古文とみている。段注で「以」の字形は、篆書体の右方に「人」を加えた形で、隷書に由来すると云う。好太王碑文ではほぼ以下の十三例。
01 「以道興治」
02 「以甲寅年九月廿九日乙酉 遷就山陵 於是立碑 銘記勲績」
03 「以示後世焉」
04 「王以碑麗不息□」
05 「而倭以辛卯年來渡海 破百殘□□□羅 以爲臣民」
06 「以六年丙申 王躬率水軍 討科殘國」
07 「從今以後 永爲奴客」
08 「自此以來 朝貢論事」
09 「以奴客爲民」
10 「以口訊」
11 「是以如教令」
12 「自上祖先王以來」
13 「又制守墓人自今以後不得更相轉賣」
「以甲寅年九月廿九日乙酉」(02)は<on>、「而倭以辛卯年來渡海」(05)および「以六年丙申」(06)は<in>で、それぞれ「以」は時を表す詞と考えてよく、「其弟以千畝之戰生」(『左傳』桓公二年)などにも用例がある。ただし「以六年丙申」(06)の「以」は、<so>など接続の意味も考えられる。
既に碑文(2)で触れたように「以來」(08、12)は<since>、「以後」(07、13)は<after>あたりで、時を表す句と考えてよい。
「以爲臣民」(05)で「以爲」は通常「思ふには、思ふやうは」の義だが、この場合は「以奴客爲民」(09)を<take as>とみて、「以(百殘□□□羅)爲臣民」とも解せるだろう。
「以道興治」(01)は『説文』の用例と同じで<use>、「以示後世焉」(03)は順接の接続詞で<and>ないし「所以」「由」<for because>の義とも考えられる。また「是以如教令」(11)は標準を示して<according to>あたりか。04、10はいずれも欠字があり、難解である。

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