『説文』入門(32) -「臣民」と「屬民」-

碑文で「民」は単独に使われるほか、「臣民」「屬民」「城民」など連語にも用例がある。このうち、ここでは「臣民」「屬民」を取り上げてみる。中でも臣民という言葉は、明治以後の帝国憲法でも使われた用語であり、穏やかではいられない複雑な印象がある。
落ち着いて「臣民」から、当時の定義を推定してみよう。まず「臣」であるが、『説文』では「臣 牽也 事君者 象屈服之形」(三篇下158)となっており、「牽也」が解である。
「牽」は「牽 引而前也 从牛 冂象引牛之縻也 玄聲」(二篇上052)で、「前へ引く」と説く。字形も大変興味深いが、先を急ぐことにする。「牽」「引」は疊韻。
従って許愼は「臣」を、屈服する形の象形字とし、「前へ引く」「君に事える者」の義と解いていることになる。
『廣雅』は「臣 繕也」(釋言・58)で、また「臣 堅也」である。段注によると後者は『孝經』など春秋説を引いたもの。王氏念孫も「屬志自堅固也」の義を強調する。
『玉篇』は孔子を引いて「臣 孔子曰仕於公曰臣 仕於家曰僕」とし、やはり王公に仕えるものを「臣」とする。『廣韻』に至っては、「臣 伏也 男子賤稱」という。
従って「臣民」は王や君公に直接仕え、その意志が堅い者<subjects of a feudal ruler>あたりの義になるだろう。
これに対し「屬民」は、やや異なる。『説文』で「屬」は「屬 連也 从尾 蜀聲」(八篇下004)となっており、形声字で、段注の「言別而屬在其中」が要を得ている。つまり、異なるものであるが同じ種の中に属している<category belong to>という意味だ。
碑文に「屬民」は二例ある。
1 「百殘新羅 舊是屬民 由來朝貢」(永樂五年条)
2 「東夫餘舊是鄒牟王屬民 中叛不貢 王躬率往討」(同二十年条)
よって文脈上からも、「屬民」は<dependent people>あたりの義が考えられる。これでよければ、高句麗は百済・新羅などが国家として異なることを認めた上で、同じ種に属し、臣従して朝貢する関係にあると認識していたことになる。
「臣民」「屬民」の定義が異なるのであれば、辛卯年条の解釈に影響するかもしれない。