沢蟹

先日、落ち葉を拾いに庭へ出てみると、沢蟹がいた。忙しく暮らしているうちに何でもだんだん記憶が薄れていくのに何かしらのものが消えないので、備忘録として書いておく。
私が始めて沢蟹に出会ったのは二十歳過ぎで、蟹には気の毒ながら、京都の居酒屋でつまみとして食べたあたりだと思う。たしか唐揚げだった。
私は海辺で育ったので、蟹は珍しくなかったが、「沢」という名前に惹かれて注文したのだろう。結構うまかった事と、その小ささが印象に残っている。
郡上に越してからは、吉田川支流の小駄良筋などで大きな群れになっているのも見たし、そんなに珍しくなくなっていた。ここで見る種類は甲羅がやや黑っぽく、足が朱色のものが多い。
仕事以外では家にこもることが多くなったこの頃、すっかり沢蟹を目にすることも少なくなっていた。散歩中に愛宕公園の入口辺りにある水場で見てから既に二年ぐらいたっている。
それを突然、庭で見たのであるから、新鮮なおどきであった。雨中ないし雨上がりに行動することが多いらしい。そういえば、午前中に雨が降って、雨上がりの午後であった。
十一月に入っていたからか、甲羅も二、三センチほどの結構な大きさになっていた。沢蟹ではりっぱな大人である。ここら辺りではいつごろ冬眠するのか知らないが、そろそろ水も冷たくなっており、冬篭りに入る頃ではなかろうか。
随分前に裏の疎水を側面も底もコンクリートにしてしまったので、この辺りではすっかり蛍も出なくなってしまったし、蟹も見なくなったという。なのに、天敵から逃れてきたのか餌を探していたのか、住処として適当とは思えない我が家の庭に迷い込んできたのである。背中をそっと触ってみても、さほど怒るわけでもないし、警戒するわけでもない。弱っているのかとも思ったが、私の一存でどうにかする気にもならず、そのままにして家の中の作業に取り掛かった。
数時間後庭に出てみるとすでに蟹は見当たらず、なんだか拍子抜けの気分になった。だが他方で、何故か、ほっとしたのも事実である。とは言え歳をとって仏心が出てきたわけではなく、から揚げはどんな味だったかなあと思い出すのであるから、業の深いことよ。