『説文』入門(45) -「壹」と「一」-

これまで「邪馬壹國」についての考え方は凡そ示してきたが、倭人条には更に「壹拜」「壹與」の用例がある。「壹」の全体像を知るには、これらについても検討しておく必要がある。今回は、「壹拜」について整理してみたい。
さて、倭人条には「掖邪狗等壹拜率善中郎將印綬」とある。「掖邪狗らが率善中郎將の印綬を壹拜す」辺りだろうか。ところが、管見では他に「壹拜」の用例が見当たらない。
そこで『説文』で「拜」を見ると、段注では「拜 首至手也」(十二篇上136)である。だが大徐・小徐本では共に「拜 首至地也」であり、拝の形が異なる。
かつて中国は礼の国であり、さすがに細かな定義がなされている。九拝あり、中でも稽首、頓首、空首が三拝で主要なものである。『周禮』春官巻第二十五大祝の鄭注によると、「稽首 拜頭至地也 頓首 拜頭叩地也 空首 拜頭至手所謂拜手也」となっている。これから、大徐・小徐は稽首を、段氏は空首を根拠にしていることが分かる。
この三拝を含め、私には「九拜」を厳密に語る資格も能力もないから、七番目に記されている「奇拜」を少し取り上げるに留める。
大祝の鄭注は「奇讀爲奇偶之奇 謂先屈一膝 今雅拜是也 或云 奇讀曰倚 倚拜謂持節 持戟拜身倚之以拜 (中略) 奇拜謂一拜也」であり、後漢代に「奇拜」は「雅拜」とも呼ばれていた。「節」や「戟」を身に近づけて一拝するものだったと云う。
段氏も「奇拜者 一拜也 一稽首 一頓首亦是也 簡少之詞也」とするからほぼ同じ理解であり、「一稽首 一頓首」の形でもよく、拝を簡略化したものと考えている。
これから「一拜」が一般に認められる用法であり、倭人条の文脈からも、この「一拜」が原形で「壹拜」に書き換えたと考えられないか。
魏の大義名分論と中華思想から、陳寿が「臺」を「壹」にしたと解した。一方で「一大國」「一大率」では書き換えられていないことから、この場合もまた、掖邪狗らが魏の臣下に列している点を念頭に置いた名分論を根拠にして「壹拜」に作っていることになる。
以上、「一」「壹」がほぼ同音で類義語であること、そして「壹 誠也」「壹 輩也」の義から、やはりこの「一拜」を「壹拜」にしたと解せるのではないか。
なぜ掖邪狗らが「一拜」したのかが興味深い。彼らが中国風の礼を弁えていたとも読める。また「九拜」の四番目に記されている両手を打つ「振動」という拝がやはり倭人と関連しそうだが、機会があれば、またじっくり考察してみたい。

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