とんびが鷹

山の中に住んでいると、それはそれで、色んなことがある。鷹が飛んでいるのをまじかに見たのは今回が初めてかもしれない。初めてであるから鷹であった確信まではないが、ほぼ間違いないと思っている。私の理解では隼、鷹、鳶の順で大きくなる。ただ、これが正しいのかどうか知らない。
若い時に椎茸の原木を山奥に置いていたことがあり、隼が高い林の中をすばやく飛行していたのを見たことがある。やや黒っぽい羽だった印象が残っている。雉もかなり見ているし、何回か山鳥が近くから飛び出すようなこともあった。
吉田川を散歩している最中の出来事である。ふと見上げると、自分のほぼ真上で明らかに猛禽類と思われる中型の鳥が相当の早さで飛んでいた。さほど上空というわけでなく、高い樹の上ぐらいである。例の如く鳶だろうと思って何気に観察すると、鳶ほど大きくなく、鷹だと直感したので視界から消えるまであかず眺めていた。
動物は、すべて進化の過程にあり、今見られる姿には必然性があるという。とすれば、私の醜い姿にもまた必然性があるということになるが、それにしても鷹の姿には完成度の高さを感じた。
実際に捕食している姿は目にしていないとしても、その精悍なくちばし、瞬発力のありそうな大きな羽、相当の重さの獲物でもつかみ上げそうな足など、飛行中だからこそ非常にバランスがよいと思えた。
実際には、集団になったカラスの攻撃に会えば逃げ出すのかもしれない。だが、その飛んでいる姿には威圧感と気高さがあった。テレビでだったか、カラスを湖水上空までおびき寄せてからハンティングしていているのを見たことがある。
鳶と鷹は、共にタカ目タカ科で、大きさの違いに過ぎないらしい。なのに、その扱いには大きな差がある。
鳶は物覚えが悪くて、危険予知能力が低く、共食いすることがあるとされる。これに対し、鷹は厳しい訓練に耐え、狩りに使われることから、畏怖されているのかもしれない。
私は、鷹が郡上にどれほど生息しているのか知らないし、また生態も殆ど知らない。鷹の姿をまじかに見ることができて、まずこんなことはめったにない事だと喜んだのである。
どこの親でも、自分達が産んだ子が小さいころは、ひそかに「鳶が鷹」を生んだと感じているのではないか。確かに幼児期はなかなか可愛いし、しっかり会話できるようになれば彼らの新鮮な言葉遣いに感心することも多い。
ところが、中高生あたりまで成長してしまえば、なんとか一人前になってくれれば充分だと感じるものらしい。