ラーマーヤナ

ここ一月ほど、これと言った目的もなく『ラーマーヤナ』を少しずつ読み返している。
古典だが、インドで買った普及本である。まあ、哲学者が諸本を参照して、ストーリーをなぞって書いたものである。従って、叙事詩として原作を忠実に翻訳したものとは言えないしろものだが。
とにかく登場する人物がすべて自らに厳しいモラルを課す点が目立つ。この点は、『マハーバーラタ』でも同じことが言えそうだ。ただ、人物という表現が正しいのかどうかわからない。それぞれが神とも考えられるし、アバターと解することもできる。
ストーリーは長いが至って簡明である。即位直前に父王がした昔の約束から、プリンスのラーマは即位できず、異母弟ラクシュマナ、新妻シータの二人を伴って十五年もダンダカの森へ追放される。彼らは森の中で法に基づき、清く、正しく、そして心楽しく暮らす。
ところが、まもなくはれて国に帰れるという時になって、シータに懸想したランカ王が魔術師を遣り彼女をさらってしまう。その後、ラーマと弟は様々な試練に耐え、ランカ国を挙げての激戦に打ち克ち、やっと王から彼女を取り戻す。
めでたく故国に帰ったものの、絶望や激戦でも自らを失うことがなかったラーマが、心の中に湧いてくる黒雲を消し去ることができなかった。シータの貞潔を疑ったラーマは、彼女を追放してしまう。
何度読んでも、せっかく助け出されたシータが追放されたり、自らの潔白を証明するため自殺してしまう筋に衝撃をうける。自業自得とはいえ、ラーマの苦しみは如何ばかりか。
インドではテレビのドラマでも見たし、映画でも取り上げていた。またインドネシアでも、祭りの踊りや演劇、影絵などでも演じられていた。長年住んでいたわけではないから、これが恒例なのか、私が滞在していた二十年ほど前に最高潮であったのかは分からない。
そう言えば、私がインドにいた頃、イスラム教徒がかつてラーマ寺院を破壊してモスクを建てた聖地を取り戻そうとする「ラーマ運動」が盛んだった。各地で物騒な騒乱やテロ事件が起こっていた。このせいで、仕事に支障をきたしたこともあった。
なぜか当時は、日本の『忠臣蔵』を念頭に置いてよく比べていた。だがよく考えてみると、それだけではなく『平家物語』などにも対応するような気がしてきている。