タンカー

『史記』に「不治而議論」(巻四十六田敬仲完世家第十六)という文章があるのが目についた。これに行き着かなければ、このコラムは書かなかった。
三月三十日付の新聞の一面を読んでびっくりした。福島第一原発のタービン建屋地下にたまった高濃度の汚染水を一旦タンカーに入れておく案があると云う。前日、私はそのタンカーの夢をみていたからだ。新聞報道によると、既に二十八日の段階で汚染水を一旦タンカーに貯蔵する案が出ていたらしいが、私は知らなかった。
これには国土交通省から、
1 接岸する岸壁がない
2 汚染された水を移動する際に、作業員の安全が確かでない
という理由で、慎重論が出ているという。東電は現在、タービン建屋内の水を復水貯蔵タンクから圧力抑制室用貯水タンクに玉突きのように移し替える作業をしている。しかし、このタンクが満水になることを想定し、仮設のプールをつくることを視野に入れているという。これでは場当たりであり、どれだけ時間がかかるのか見当がつかない。他方、日本政府はこの水を処理するために、
1 ため池をつくる(新たなタンクを敷地内につくる)
2 タンカーを活用する
ことを検討しているらしい。ため池は立地に問題があるし、堅固な防水を施さねばならない。新たなタンクを敷地内につくるのは、長期の展望に立てば、確かに重要だろう。
私は夢の中で、短期に放射線のみならず様々な放射性物質を根本から抑えるには、建屋内の汚染された大量の水をまず排除し、冷却系の循環を目指すほかないと考えたようだ。私はまったくの門外漢であるが、社会の疲弊を考慮すれば、沈静化を目指して大胆な方法を選択することが理にかなっていると思う。この方法としてタンカーが思い浮かんだのだろう。
「遊説の士」は中国の戦国時代の話で、東の雄である斉という国を舞台にしている。時の宣王が「文學游説之士」を喜び、稷下に数百人を招いた。彼等は実際には統治に加わらず、議論するのみであったと云う。
今は、あらゆる選択肢を果断に実行する時だ。接岸する岸壁がないのであればそれに替わる方法がないわけではなかろうし、接続部での作業員の安全やホースの養生については工夫をすれば不可能とは思えない。タンカーのタンクにしても、専門家がいるのだから、最短時間で万全の用意をすればよい。使う使わないは別にして、まずタンカーを用意しておくのが手順ではないか。同様に鉄製のメガフロートを浮かべる案も時間との競争である。いずれにしろ余震や再度の津波を警戒する必要があるし、海底の状態も普通ではないだろう。正義を標榜して、議論する時ではない。

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