神の御杖杉

本日は、歴史の奥深さを感じたという話。郡上市が発行している冊子を何気なく見ていると、一番裏のページに「神の御杖杉(おつえすぎ)」というテーマでちょっとした記事が載っていた。
長良川鉄道赤池駅より北西へ約1、5キロ、徒歩で約20分、東海北陸道をくぐって坂道を上ると杉原地区の熊野神社に着く。神社入り口に「神の御杖杉」という巨木があり、幹回りは約9、5メートル、樹高約30メートル、樹齢は千年以上と言われ、国の天然記念物に指定されていると云う。
言い伝えでは、応和元年(961年)、紀州熊野の比丘尼俊応が当地を訪れた際、一夜の宿をたのみ、夢のお告げによって近くにある滝の権現を祀ったのが熊野神社の始まりとされている。
彼女が持っていた杖を土中に刺し、それが成長して御杖杉になったと伝えられており、枝が下に向かって伸びている点が珍しいことになっている。
恥ずかしながら、この神社はまったく私の視野に入っていなかった。つらつら考えてみるに、私がこの地の出身ではないので、こういう基本情報に接することがなかったのかもしれないし、接していたとしても目に入らなかったのかもしれない。
郡上には白山神社が多いのに、なぜか八幡旧市街にはない。この点についてはいずれ私の仮説を書くことがあるかもしれない。ここ数年はこれ以外でも郡上における熊野神社の分布や由緒などが気になっていた。この間小那比の熊野神社へは行ってきたし、和良の土京地区にある熊野社も映像で確認している。
まだお参りしてはいないけれども、この杉原地区にある熊野神社の『由緒書』に「白山神社別宮杉原熊野神社」とするものがあるらしい。延宝七年(1679年)、円空がこの熊野神社に十一面観音立像、不動明王坐像を造立したと伝える記事も目にしている。
私は、今のところ、郡上古代の文化を主として南北で理解しようとしている。南からは武義や東農などの文化、北からは白山信仰などの越前文化である。多くは伝承に依存するしかないのでしっかり証明できているわけではないが、白山信仰が先に広がり、その後に南からの要素が重なっていると感じている。熊野信仰を南からの要素の一つに位置づけようとしていた矢先で、この冊子の記載を見つけたことになる。
近いうちにこの神社へお参りし、じっくり「御杖杉」を拝見する楽しみができたという次第。