極南界(3) -読解-

テーマとなっている「倭國之極南界也」についてはいくつか読み方がある。
まず、原文の文脈をみていただく。「建武中元二年(57年) 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」である。
「倭國之極南界也」の末にある「也」から始めよう。これをどう読むかは、続く「光武賜以印綬」の解にかかわる。『大漢和』をみると、「也」の義につき、次の三例が関連しそうだ。
1 なり。決定辞。
2 や。なる。句中にあって語勢を強める助辞。
3 や。下を起こす辞。「夫子至於是邦也 必聞其政」(『論語』學而)。
1は終辞で、この用例とすれば「倭國之極南界也」で一旦文章が終わることになる。この場合、主語から考えて「倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也」で一文、また「光武賜以印綬」が一文となる。
2及び3では、文章が終わらず「倭國之極南界也 光武賜以印綬」が一文となる。『論語』の例からすると、「也」は句中にあって語勢を強め、後文の「必聞其政」を起こしていることになる。
これだけを見れば「倭国が南界を極めたので、光武が賜うに印綬をもってした」と読む人がいるかもしれない。だがこれには疑問がある。
さて「之」の読み方をどうするか。「之」は「主格を表す辞」、「所有格を表す辞」の二通りが考えられる。
主格の場合、「倭國之極南界也 光武賜以印綬」だけを取り上げれば、確かにそれぞれ「倭國」「光武」を主語、「極」「賜」を動詞とするほかないように見える。
だが金印に記されているのは「委奴國」であり、「倭國」ではない。従って「倭国が南界を極めたので、光武が賜うに印綬をもってした」のであれば、「漢委奴國王印」ではなく「漢委國王印」とされるはずだから無理があろう。やはり「倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也」全体の主語は、「倭國」でなく「倭奴國」である。
よって「也」を「下を起こす辞」とみるのであれば、「倭國」が主語として入る余地がなく、また「倭奴國」から離れすぎてしまう。これは、范曄が「倭國之極南界」ないし「倭國之」を後から加えたために生まれた読み方ではないかと推測している。
以上から、私は「之」を所有の辞とみなさざるをえない。私の読解は次の通り。
「倭奴国が奉貢朝賀した。倭奴国の使人は大夫を自称しており、倭国の極南界にある。光武は賜うに印綬をもってした」
この場合の「倭國」については、すでに「二つの倭國」(金印シリーズ7)で言及している。

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