『説文』入門(56) -「極」の用法-

ここで「極」の用法を書くとなれば、情報量が多く、分かり易く書けるか不安がある。紙幅に限りがあるので、相当煮詰めなければならず、形や音について触れることが難しい。
さっそくだが、『説文』で「極」は「極 棟也 從木 亟聲」(六篇上211)とあり、形声字である。声符の「亟」を「問いつめる」義として、会意及び形声字と解する意見がある。
ただ『説文』では「亟 敏疾也」(十三篇下066)となっており、会意字とは考え難く、少なくとも漢代では形声字とされ易かっただろう。
「極 棟也」は、また「棟 極也」(六篇上210)とされており、「極」「棟」はそれぞれの義を表す互訓になっている。従って、これだけでは木偏の字であることしか分からない。
そこで「棟」の段注を見ると、「極者 謂屋至高之處」<the highest part of the roof>とあり、要をえている。これを採用すれば、「極」を「屋根のもっとも高いところ」あたりに解してよさそうだ。名詞を原形としている点は肯首できる。
他方「極」段注では「凡至高至遠皆謂之極」とあり、「至高」<extremely high>「至遠」<extremely far>を「引伸の義」とみている。
これから段氏は『説文』を優先し、『爾雅』の「極 至也」<to reach>(釋詁第一上・5)、「謂之四極」<four poles>(釋地第九・21-1)など「至る」「極遠の地」などが派生した義と解していることになる。この場合、「極 至也」では「極める」「至る」の動詞、「四極」では「極み」「極遠の地」<extremely far land>の義で名詞の用法とも考えられる。だが私は、彼とはやや異なり、『爾雅』『説文』両義の並行した時代が長かったと推測している。
下って『廣雅』では、「極 遠也」<far、faraway、distant>(巻一上釋詁・18)、「極 已也」(巻四下釋詁・13)、「極 中也」(巻五上 釋言・01)なども記されている。「極 遠也」では副詞や形容詞として使われる例が多い。
『玉篇』は「極 棟也 書曰 建用皇極 極中也 又至也 盡也 遠也 高也」(木部一百五十七)となっており、「盡也」を拾ったとみるべきか。
また『廣韻』は、「極 中也 至也 終也 窮也 高也 遠也 説文棟也」(入聲巻五 職二十四)で、更に「終也」「窮也」が加わっている。
范曄の「倭國之極南界也」について言えば、『説文』の用例は不適で、次の二例が考えられる。
1 「極 至也」の「極める」「至る」から、「南界を極める」<reach the south border>。
2 「極遠」「極東」「極明徹」(『一切經音義』卷第三)などのように解し、「極南」<far south>から「極南界」<far south border>とする。
私は「極南界」(3)で、金印から主語を倭奴国として、後者を採用した。『玉篇』『廣韻』は著者である范曄の置かれた状況を示すために列挙したもので、直接には論旨に関連しないと断じることもできるが、史料として使いたい人もいると思うのでそのまま残しておく。

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