『説文』入門(58) -銅鐸(中)-

ことの成り行きで『説文』入門のシリーズに入れてしまうが、腑に落ちないところもある。前回は、発掘されてきた「銅鐸」が祭祀用ではなく、長きにわたり軍用として使われてきたと考えた。今回はこの意見を支える二つの要点を確認しておきたい。
一つはこの種の発掘品を「鐸」と命名したことであり、一つは『禮記』の記述である。
第一に、本邦で発掘されてきたこの鐘は中国や韓半島で発見されていない。いわゆる初期銅鐸でも相当な大きさらしく、大きさだけ言えば「鐃」あたりの方が適切かもしれない。まあ、形や大きさなどから鈴類を代表するものとして「鐸」と命名されたのだろう。大陸で同様のものが見つからないから、中国の史料でこれを定義してみても説得力がないと主張する人がいるかもしれない。
だが、銅器、鉄器など金属器自身は大陸から伝わっている。本邦で「鐸」とされるものもまた金属製の鈴類であり、大陸の使い方と全く異なる用法とは考えにくい。大陸で鈴類が軍用と定義されている以上、これを無視することは難しいだろう。
第二に、『禮記』で葬送に関する用例がある。「鐸」という語が見られる例として重要だから、長文を厭わず引用する。
「升正柩 諸侯執綍五百人 四綍 銜枚 司馬執鐸 左八人 右八人 匠人執羽葆御柩 大夫之喪 其升正柩也 執引者三百人 執鐸者左右各四人 御柩以茅」
詳しく解説することが私の任とは思えないけれども、引用する以上、ある程度読解しなければなるまい。
最初の「升正柩」は、漢の鄭玄注が「將葬朝于祖正棺於廟也」だから、まあ「正棺を廟へ公式に葬る」あたりでどうだろう。「綍」は柩を引く麻の繩、「銜枚」は静かにするために木製の切れ端を口にくわえること。「司馬」が鐸をとり、左右に八人ずついると云う。「匠人」は工人であり、鳥の羽で柩を飾るのであろうか。大夫の飾りである「茅」と共に、大そう興味深い。
唐の孔穎達疏によれば「司馬執鐸左八人右八人者 司馬夏官 主武故執金鐸率衆 左右各八人夾柩以號令於衆也」である。
司馬は武官だから、金鐸を鳴らして衆人を率いたと解する。彼は、鐸を持つ司馬が柩を挟んで八人ずつ、計十六人が号令したと読む。この場合の「司馬」は「兩司馬」ということになる。一人が一つ鐸を執っているだろうから、諸侯の葬列では計十六、大夫の喪でも計八が使われたことになる。
ここで云う「金鐸」は、舌が銅ということで、高音が期待できる。いかにも、戦場で進退を号令する音にふさわしい。諸侯及び大夫の葬式に軍用の鐸を使っているのは、数百にのぼる一党を整然とした隊列にするためのみならず、軍事優先の時代相を映しているだろう。
かようの如く「金鐸」はあくまで軍用で、官吏などを指示する「木鐸」とは異なる。この『禮記』の記事を以て、「鐸」を祭祀用とすることはできまい。