千年比丘尼

あれ、八百比丘尼ではないのかと感じるかもしれない。いずれにしても比丘尼の話だから仏教の色合いがあるとしても、原形を遡れば、仏教以前の要素を濃厚に残しているのではないか。すでに民俗学で細部まで研究されており、私がことさら書くまでもないが、『史記』封禪書や『漢書』郊祀志に対応する伝承が多いように思われるので、その視点から記しておく。それにしても千年にしろ、八百年にしろ、長く生きているものだ。
不老不死はかの始皇帝が渇望し、漢の武帝もまたあらゆる手段を講じて手に入れようとした。
始皇は不老不死の仙薬を望んで徐福らを派遣したし、武帝は李少君を信じ丹沙から黄金をつくりだそうと専念していた。黄金の器で食べると寿命が長くなるからである。寿命が長くなると蓬莱山の仙人に会うことができ、その上で封禪すれば不死に至ると信じた。
李少君によると、安期生の輩は瓜ほどもある棗を食べて、永遠の命を長らえていると云う。自らも食べたはずなのに、彼はまもなく死んでしまう。
武帝は懲りずにこの後も少翁や欒大の輩を高位につけ、財政を傾けてまで、不死を求めた。武帝は全部で五回、封禪を行ったと記されている。また彼は泰一の神を熱心に祀り、供え物として濁り酒、棗、干し肉の類を加えた。これらから、幾つか不老不死の方法が見えてくる。
1 仙薬を飲む
2 丹沙が変じてできた黄金の器で食べ、封禪する
3 瓜ほどもある棗を食べる
4 濁り酒や干し肉を食べる
5 承露仙人掌(銅製の仙人の手のひらに落ちた露に玉の粉を混ぜて飲む)
などであろうか。いずれにしても、飲食に関連するだろう。とすれば、比丘尼たちもまた人魚の肉を食べるから、同じ系統と言えそうだ。人魚の肉は、薬草や棗とは異なるとしても、必ず祭事で使う肉の範疇にある。
私は浦島伝説を含む竜宮譚では、いずれも時間の進み方がこの世と大きく異なっている点に注目している。比丘尼の伝承もまたこれに繋がるかもしれない。
また公孫卿によれば、蓬莱山に数丈の大男がいると云う。行き来している証拠として海岸べりにその足跡があり、実際にそれを武帝に見せたと云う。これもまた、確かに列島各地に残る大人伝承と対応させたくなる。
比丘尼系の伝承はいずれも海岸線に伝わっており、ダイダラ坊などの大人説話とある程度分布が重なっている。いずれも、大陸へ辿れるのではないか。