戦後の終焉

既に様々な場面で語られてきた。日本は敗戦を契機に、平和憲法を採用し、ひたすら復興を目指してきた。サンフランシスコ講和条約締結時に新生日本の誕生を認められたと感じた人が多いかもしれない。
高度成長によって経済力がつき、戦中戦後の貧しさから抜け出していく過程で終焉を思い浮かべた人もいそうだ。これには、分厚い中間層が誕生し、大都市の姿が急速に近代化したことが根底にあるだろう。新幹線が開通し、東京オリンピックが開催されたあたりだろうか。
この他にも様々な人が時々に様々な分野で終焉を語っており、今更私が取り上げるのも気恥ずかしい。だが私は、これまでどの段階であれ、日本が敗戦から抜け出したと実感したことはない。
北朝鮮とは未だに国交がなされていないし、拉致事件は未解決のままである。また、同国によるミサイル発射や核兵器製造に翻弄されている。
韓国は事あるたびに閣僚の靖国神社への参拝、教科書や慰安婦などのいわゆる「歴史問題」を取り上げ、戦勝国として、自らの行為に正当性があると主張しているかのごとくである。充分反省が必要だとしても、歴史は友好を深めるために論じられるものであって、外交を有利に導くためではない。
またロシアは力ずくで北方四島を実効支配してこれを続けようとやっきだし、中国にしても、特に二十一世紀に入り経済力を伴うようになると、あの手この手を使い内外で力ずくの政策を実行中である。
ソ連からロシアに代わった時でも日露の関係に大きな変化はなかったし、李承晩ラインの矛盾は続いたままだ。また現在、尖閣諸島をめぐる日中両国の対立は徐々にエスカレートしているようにみえるし、アメリカの基地使用についても難問山積だ。
私が戦後の終焉を実感できないのは、これら隣国との関係がなかなか正常化しないからだけではない。日本が自立した国家として、正面から課題に取り組み、自らの原則で運営されていると感じ取れないからである。
日本は、しっかり戦後処理をせず、中途半端に繁栄してしまった。平和が一国で成り立つような錯覚が横行している。が、このようなぬるま湯の中では一歩も進まない状況になってしまった。
中国公船の領海侵犯は日常化しているし、海軍艦船が高周波のレーダー波を自衛隊に照射するなど、すでに単なる「示威行為」の範囲を越えつつある。中国が尖閣諸島への領有権を主張し始めたのは七十年代であり、国際法上も正当性はない。一連の威嚇は、武力を背景にした、海洋権益を得んがための軍事行為である。
軍船などが威嚇しているまさにこの状況が、様々な課題を積み残したまま、中国のみならず日本にとっても戦後を終焉させている。またしても、外圧によるのが残念ではあるが。