方言と歴史学(8) -谷と洞-

どうしようか迷った上、ここへ分類することにした。適切かどうか分からない。ここのところ、「谷戸(たんど)」という地名が頭から離れない。ここらあたりで纏めないと、何かと妨げになりそうだ。やや根拠が薄いかもしれないが、吐き出してしまうことにした。
「谷」の方は、『爾雅』によると「水注川曰谿 注谿曰谷」(釋水第十二・24)となっている。谷から谿へ、谿から川へということになる。ところが『説文』は「谷 泉出通川爲谷」(十一篇下028)であり、泉から谷を経て直接川へ注ぐことになっている。ここで詳しく古義を論じるわけにはいかないので、この辺りでやめておく。
「洞」は、「洞 疾流也」(十一篇上二056)で、急流の解である。私は「洞(ほら)」という訓では、漢語の義に加え、本邦では上流域で集落を抱えている義を想定している。
なぜこのような原義を探ったかというと、郡上の中南部地域はごくまれに「沢」があるとしても、殆ど「谷」「洞」が混在しているように見えるからだ。
それでも長良川右岸について私は、那比川以北に「谷」が多く、以南にやや「洞」が多くなると感じている。この状況下に「谷戸」がある。瓢岳及び高賀山信仰圏は那比川より南である。
粥川の星宮へは刈安での合流地点に「谷戸」があるし、宇留良へ行く道中から新宮及び本宮への分かれ道にやはり「谷戸」がある。また金峰神社にも「谷戸」の記録がある。私はまだ確認していないものの、高賀神社や滝神社にも「谷戸」があると云う。とすれば、高賀六社のすべてに「谷戸」がそろっていることになる。
「谷戸」は「谷の戸口」ではないか。とすれば、六社へ参る谷の入り口という意味になり、聖域の境界を示すだろう。瓢岳及び高賀山の方から見れば、それぞれの「谷戸」が信仰の外縁を描いていることになる。
さて、「谷」の漢語音は仮名で「コク」「ヨク」あたり、訓は「たに」「だに」「や」など。「たん」は終末の母音が落ちて音便になったものだが、このあたりでは他に例がないようだ。とすれば、この信仰圏に特化して生き残っている可能性がある。
私は、泰澄が亡くなった越前町の「大谷(おおたん)寺」を思い浮かべている。同町には他に「天谷(あまだん)鉱泉」の例があるようだし、石徹白の隣にある「小谷(こたん)堂」という地名がやはり白山信仰と関わりがあるように見える。
今のところ用例が少ないので推測の域を出ないが、六社全てに「谷戸(たんど)」がそろっているのは尋常ではなかろう。これは、その整合性からして、まず白山信仰が瓢岳及び高賀山を一様に覆った証左ではないか。そしてその後に八幡信仰や熊野信仰などの要素が加わったとすれば、天暦年間の年代も視野に入る。次回は、「戸」と「口」の用例を検討するつもりでいる。

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