気が長い

私はこのサイトでコラムに関わることができ、有り難いと感じてきた。書き手を縛るルールが殆どなく、自由に書けることに甘えてきたかもしれない。
私には私以上の能力はない。しっかりした思索が根底にあり、書こうが書こまいが、明晰さを保つなどというのは私には無理である。何らかの形で書かなかったとすれば、錯綜したままのテーマがもっと多かっただろう。書くことでいくらかでも整理がついてきた。そのトレーニングの一つがコラムだったことになる。
ふとしたことを書きとめたものは、そのまま消えていく運命だったのに、今も見ることができる。私としてはこの点もまた捨てがたい。
だがこれらはいずれも自分勝手な言いぐさで、私の動機を述べているに過ぎない。
これでは完成度の高い意見を期待している人には不満があろうし、いい加減にスケッチ様のものなどはやめて欲しいかもしれない。いずれにしても、読んでもらう立場からすれば、楽しんでいただけるかが大いに不安である。
書き手の思いがどうあれ、読み手は生硬な意見を読まされてはかなわない。点描についても、消えてしまうのが自然だとすれば、文章に起こす必然性があったかどうか。
自分が読むことを考えれば、少しは面白みがあり、内容がオリジナルであることを求められているだろう。後者については、けっこう自信がある。人の良いところを真似ることもまた才能だろうが、私にそんな洒落たものは備わっていないからである。私がやっても猿まねに過ぎない。よって一つ一つもがく他なく、「オリジナリティー」みたいなものはあるような気がする。
だが、これを保つことは不可能に近いのであって、書き手が自らを日々新たにしていくしかあるまい。これ以外の方法では、話題であれ文体であれ、フレッシュさを保つことはできないだろう。だが「言うは易し、行うは難し」である。さらに文章が洗練され、豊かな内容を盛るとなると、もう芸術の分野だ。書くたびに、限界を感じる。
それにしても、近ごろこのコラムに対する扱いが雑である。毎週の更新すらままならない。人選を誤ったと後悔しているのか、マンネリに嫌気をさしているのか。
週初に、更新に関する改善策を出してくれるそうだ。こんなことはサイト上に謳って十年以上も経っているのに、なんで今頃なんだという気がするけれども、まあやらないよりましか。気になっているのは、それだけではないのだがねえ。
サイトの運営方針やらコラムの取り扱いなども、私には全く聞こえてこない。またスケジュールがどんなものか知らないし、編集者と意思疎通があるわけでもない。どうやらそんなことは不用だと感じられているようだ。
何だかここで書く気が薄れてきた。文書で策を示してくれるそうだから、それを読むまでは気長に、糸が切れないようにしておくか。