柿が豊作

台風の影響がなくなり、一気に涼しくなってきた。我が家の柿の木が今までにないほどの実をつけている。これが我が家だけのことなのか、この辺りでそうなのかは知らない。
岐阜県は、柿で知られていると言ってよい。蜂屋柿は「堂上蜂屋柿」と呼ばれ、平安時代以来、千年の歴史があるという。渋柿の系統で、干すことによって品のよい甘さが出てくる。私が干しても、黒くなったり、青カビが生えるなど、めったに上手くいかない。「堂上」は、朝廷へ昇殿が許されたというほどの意味で、格の高い柿だと誇っていることになる。鎌倉以来、朝廷のみならず、代々の将軍家へも献上されてきたらしい。そういうわけだから、「献上柿」という名もまた頷ける。
木曽川水系の美濃加茂市から富加町を中心に作られているようで、干す時期になると、この辺りのニュースには必ず登場する。大そう高価なので、私は、ほどほどのものを食べたことがあるだけだ。
「富有柿」もまた、岐阜県の発祥という。富有は甘柿の系統で、幕末までたどれるらしい。やっぱりピンからキリまであるが、甘みが自然でみずみずしく、生食できるのが特徴である。取り立てのやや硬いものもなかなかだが、私は赤く色づき始めたものが好みである。このサイトでも扱っているようなので、お確かめください。
郡上では「宗祇(そうき)柿」という品種が古くから知られている。宗祇が持ってきたという伝承がある。まだ若い頃に、古木を見せてもらったことがある。実はやや小さく、富有のように平べったくて、木で完熟したものは相当甘いそうだ。早目に採取した固いものでもけっこう甘いという。もみ殻の上で熟まして食べるという話も聞いた。
我が家は庭に「富士柿」の古木がある。渋柿の系統で、干すと品のよい香りがする。私はいつも頭の中で「十両」の濃厚な香りと対比してしまう。
どういう風の吹き回しか、今年は大豊作だ。天候がよかったからか、隣に迷惑がかからないよう枝を選定したのがよかったのか、はたまた単なる生り年なのか。ただ数が多すぎて、いつもよりは小ぶりである。いつまでも暑かったからだろう、木の上で熟してしまい、ぼとぼと落ちてくる。
屋根の上で採れたものだけでも二百ほどあった。熟まして朝夕に食べてきた。干すのに自信があれば皮を剥くことを厭わないが、水分が多すぎて、どうしてもヘタがはがれそうだ。というようなわけで、殆ど近所へ配ってしまった。
まだ百五十ほど残っている。熟し柿は皮に近いところの風味がよく、内側がゼリー状になっており、種の周りも中々うまい。欲張らずに食べるのがこつだ。
いつも鳥用にいく分かは残しておくのだが、多すぎるので、更にあちこちへ配る必要がありそうだ。少しは干してみるか。それにしても私の腕では心もとないし、時期もやや早そうなので、先達に技を聞くほかない。まだまだ悪戦苦闘しそうである。

前の記事

東町