高賀山(2) -大日如来の不運(上)-

私は六社が虚空蔵信仰によって覆われる前に、六社又はその一部が熊野や大日信仰を中心にしていた時代があったと考えており、これを解明することをフィールドワークとして楽しんでいる。今回は六社の大日如来を概観してみたい。
高賀山の宝物庫に入ると西側にかなり大きな木製の大日如来坐像があり、こちらを向いている。迫力があって、どきっとする。前に四角い台が据えられており、今でもねんごろに読経されているのだろう。りっぱな金銅の虚空蔵菩薩の前にはないので、どちらが本尊なのか戸惑ってしまう。まだどういう経緯でこんな塩梅なのか聞いていない。急いで結論を出す必要もないので、順々に説いていこう。
別当寺であった蓮華峯寺は、もと拝殿直下の平地にあり、大日堂と護摩堂を併せもっていた。廃仏毀釈で大日如来が一旦下流の観音堂へ納められたというから、この像は再度移動されたものか。檜の一木造りで、平安末期の作とされている。手の部分が朽ちて印相が判然としないものの、大日如来と伝えられている。宝物庫には不動明王像も見られる。大日如来は両界曼荼羅に認められるが、高賀社のそれは胎蔵界の中心仏とされ、真密との関連を説く人もいる。が、私はその根拠を知らない。
この如来は天照大神の本地とされることがある。『高賀宮記録』に「大日女貴」が載るので、或いはこれを垂迹とするかもしれない。ただ私は、『記録』の神々が高賀山信仰に本来備わっていたとは考えていない。
この高賀社においても本尊は虚空蔵菩薩とされるから、違和感を抱いてしまう。
この他五社のうち、今回は粥川の星宮と美濃市の金峯神社を取り上げよう。史料や伝承を拾っていくと次のようになる。
1 粥川寺は南北朝時代に修験道の地としてさかえ、中心に本殿、拝殿、護摩堂、三重塔などがあり、これに奉仕する不動院、大日院など十二院が輪番で本坊に奉仕したことになっている。粥川寺は真言宗の影響があるものの、本来は天台宗であり、後に真言宗へ転じたとされる。
2 金峯神社は現在、本尊を十一面観音、阿弥陀如来、地蔵菩薩としており、大日如来の影はない。ただ『片知村高賀山藏王由縁』という縁起に、「内神はいさなき、いさなみ、天照大神宮、春日大明神、八幡大神の五尊、神前は白山大權現大日如來の御すいしゃくにて、左は不動、右はやとたき八大龍王」とある。明治に金峯神社へ改名したというから、廃仏毀釈の時に紛れたのだろうか。
ここでは大日如来の垂迹は白山大権現とされる。「左は不動」は不動明王と解せようから、両社共に大日如来と不動明王が対になっていそうだ。
ともに天台系の影響が考えられ、特に後者は白山大権現が垂迹している点を確認しておきたい。

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