無知

落ち着いて周りを見渡すと、一人一人と欠けていき、近所の知り合いがめっきり減ってきた。ここで長生きしているからかもしれない。
幸運と言うべきか、長く付き合ってきた友人達は顔ぶれがそろっている。ただ頭が白くなったり、薄くなったり、青年時代からすればすっかり隔世の感がある。
ふと、若い時と今の自分を比べてみることがある。私にもつっぱった時期があった。世の不平等を歎き、何とかこれをただそうと懸命だった。国家や法を論じ、分かりもしない芸術に身を浸し、自由や愛に焦がれ、いっぱしのインテリを気取っていたものだ。
若者がしっかり自省しながら一歩一歩自分の世界を広げていくことは健全だとしても、私の場合は足が地についていない状況が長かった。迷路の真っただ中にいたと言ってもよい。
自らの愚かさを恐れながらも、無知であることを認めようとはしなかった。身のほども弁えず、自分なりに、価値あるものと感じていた用語を定義してきた。今これを思い返すと、気恥ずかしいものもあるし、あまり変わらないものもある。
居直って申せば、気恥ずかしいものについて言うと、私が少しばかり熟してきたような気がしている。変わらないものは、定義に普遍性があったというよりは、今でも私が拘っているに過ぎないと申すべきでしょう。
例え有能な者であっても、志が高ければ高いほど力の及ばぬことを知り、棚上げすることが多くなるだろう。まして私は生来の怠け者であり、悲憤慷慨するだけで、ひたすら心身を鍛えるということはなかった。
自分一人さえ、身を保つことは容易でない。実際に無能な自分を次々にさらけ出してきた。それなりに生き延びて来れたのは、周囲の助けがあったからだろう。
人生を通じて愚かさを痛切に感じてきたとしても、それが私の人生であり、結構いとおしい。
古今東西、知に関する定義は様々である。
ソクラテスは知らないことを知っているとは言わず、知らないことを知らないと言える勇気をもっていた。『論語』爲政篇第二(十七)に似たような見解が述べられている。孔子は弟子に「知之爲知之 不知爲不知 是知也」は「これを知るを知るとなし、これを知らざるを知らざるとなせ。これ知るなり」と教えている。古今東西、知性ある者は似たようなことを言うものだなあ。『説文』では「知 詞也」(五篇下128)だから、言葉で認識することを重視している。
因みに「知」に関する私の定義は、誰かからの影響だろう、「知らないことを知っている」だった。私の考えも少しずつは変わってきた。今なら、自分が愚かなことに気づいた時に知が生まれるあたりか。とすれば、私には毎日知性が追加されていることになる。まだ人並みには遠いがね。