徘徊老人

きのう面白いことがあった。或いは、自分を振り返る機会に恵まれたと言うべきか。天気が回復したので、例によって散歩へ出た時の話である。
昼間に一人で出かけた。職人町から大乗寺橋を渡り、門前にある案内板をながめていると、知り合いに出合う。私がふらふら歩いていても、彼なら不審だとは感じないだろう。
大乗寺で一通り墓を見た後、佐竹洞を探るも、成果なく出てくる。今回のテーマは「中坪」なので、向山を北へ向かい中坪橋を渡る。あれこれ趣が感じられ、立ち止まっては周りの山川を見回し、一歩一歩景色を楽しめた。たまたま橋の来歴を読んだばかりだったからだ。
橋を渡り切ると、東北に中坪山が見えはじめ、しばし眺める。気が済むまで見ていたいが、散歩のことなので、そぞろ歩きだす。この辺りで腰を下ろすべきだったか。
ゆっくり歩いているうちに、旧川合村役場跡のことが思い浮かぶ。川合村は1954年に八幡町と合併し、やがて使われなくなった。私はかねがね、この場所を確認したいと思っていた。
見当をつけて、新道からこれまで通ったことのない細路地へ下りると、二人の婦人が草引きをしていた。女性の年齢を詮索するのは無粋だが、ここでは欠かせないので敢えて推測すると、私より一回り上の世代だったかな。
私が役場跡の位置を聞くと、確信がない様子だったのに、丁寧に教えてくれた。そのあと、私の在所と年齢を尋ねてきた。
何だか違和感があったが、その時は、まったく面識がなかったからだろうと考えた。
格好からして観光客ではないし、地元の顔見知りでもない。多少人品に問題がありそうだし、不審に感じたのだろう。
この辺りまでなら、何ということもない。道順を教えてくれたこともあり、素直に答えた。そして暫く四方山話をしたあと、お礼を述べ、私は左手に折れて行った。
角を曲がってすぐに、はたと気がついた。彼女らが尋ねたのは、私が認知症にかかっていて、見知らぬ土地を徘徊していると感じたからではないか。だから心配して尋ねてくれた。
そこで、その時の自分を振り返ってみた。普段は孫を連れて散歩するのに、その時は一人だった。そして、初めての土地で道順すらままならない。当然ながら知り合いもない。ふらふら歩いて来て、あまり話題にならない役場跡のことを尋ねる。浮世離れした人物だと感じたに違いない。さもありなん。
分かれた後でも、不安げに歩いている姿から、やっぱり徘徊老人に見えたのではあるまいか。彼女たちの慧眼に、思わず、にやりとする。

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