制度(3)

制度の古義を何のために探っているのか分からないというクレームがあった。まだここで詳しく開陳できないとしても、確かにある程度手の内を見せておくのが分かりよいかも知れない。
先月の始めだったか、米の歴史家を含む相当数の人たちが「日本の歴史家を支持する声明」という不思議なものを発表した。誰に対する声明なのかはっきりしないし、神託みたいな文言なので、サークル内のディベートなのかなと感じたけれども、どうやらそうではないらしい。
敗戦後における日本の平和主義が世界から祝福されるには、いわゆる慰安婦制度の歴史解釈が障害になっているという。とすれば、ゆゆしき問題である。
「過去の植民地支配と戦時における侵略の問題に立ち向かい、その指導力を発揮する絶好の機会」だとし、「人権という普遍的価値、人間の安全保障の重要性、そして他国に与えた苦しみを直視する必要性」の一つ一つについて、大胆に行動することを日本の首相に期待するというような内容に読めた。
彼等の認識には、根拠として、次の二点がありそうだ。
1 「慰安所」の管理に関する日本軍の関与(military‘s involvement in the transfer of women and oversight of brothels) を明らかにする資料は、歴史家によって「相当」発掘されている。
2 「被害者」の証言は様々で、記憶もそれ自体は一貫していないけれども、重要な証拠が含まれている。これは元兵士その他の証言だけでなく、公的資料(official documents)によって裏付けられている。
「慰安婦」の正確な数については今後も確定されることはないとしても、女性たちが尊厳を奪われた歴史の事実は変えられない。彼女たちが被った残忍な行為から目を背け、彼女たちを「搾取」した非人道的制度を取り巻く文脈を無視してはならないという。
さらに声明の中に、「歴史家にとって過去の全ての痕跡(every trace of the past)を慎重に天秤にかけて、歴史的文脈の中で評価(contextual evaluation)を下すことのみが、公正な歴史(a just history)を生むと信じている」とある。
彼らが数々ある各国の残忍な行為の中で、なぜ今、日本が関わったという慰安婦問題を取り上げたのかここでは問わないことにしよう。
私の印象では、彼等の発言は歴史家として謙虚さに欠ける。現在これを政治問題化しようとする勢力があるにもかかわらず、事実のみを積み重ねるべき歴史家が神のような立場で一方にくみする意見を公表する態度に疑問がある。
おいおい確かめていくとして、彼らの主張でもっとも根幹となるキーワードが「制度(system)」だと思われるので、このテーマからシリーズを始めた次第。ただ、私が適任かどうか疑問があるにはある。

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