制度(5) -制度の公私-

前回は、酒保内に施設を設け、民間業者に公娼宿を運営させたところまで確認した。軍が関与したことは間違いあるまい。これに至るまでを追跡してみると、
1 公の施設をつくるには、法による規定が必要となる。「野戦酒保規程」を改定し、前線で酒保に慰安施設の設置を可能にした。
2 軍は慰安婦の募集を業者に依頼した。これには、各地の憲兵や警察に了解を得る必要があった。軍用に関わるとはいえ民生であるから、警察および内務省が管轄しており、憲兵を通じて主管官庁へ便宜を図るよう依頼した意味がある。
3 軍や外務省などの認可を得て、集められた慰安婦を各地の前線へ送る。
以上、軍は規程を改定して酒保に施設を用意できるようにし(1)、募集を業者に依頼し(2)、慰安婦を前線各地へ送り(3)、業者に公娼宿を運営させたのである。
戦地拡大のテンポが速すぎて、民間業者が危険を冒して自ら各地に公娼宿を作れないので、軍が背中を押したと解せるかもしれない。
「声明文」では「歴史家の中には、日本軍が直接関与していた度合について、女性が「強制的」に「慰安婦」になったのかどうかという問題について、異論を唱える方もいます」とある。
私は、これらを明らかにすることこそ歴史家の仕事だと確信している。自ら閲覧した史料を明らかにせず、「大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされたことは、既に資料と証言が明らかにしている」と断定するのは度を越している。大勢とは、一体何人なのだ。公の機関がどのように関わったのか確認しなくてよいのか。これらについてアメリカの公文書では証明できまい。彼らの論拠は近頃日本で公表されている史料に基づいているだろう。
これらによれば、上記したような軍の関与は認められるが、慰安所の経営管理は主として民間業者があたっていた。宿の主たる客が兵士であるし、前線の移動など軍特有の事情があるので、フォロワーになるよう業者を支援したことは考えられる。だがこれを「組織的な管理」とするのは、軍の直接管理に通じ、行きすぎだろう。
強制的に慰安婦になったという点について。内地だけでなく朝鮮でも、公機関による「強制連行」は記録されていないし、必要だったとも思えない。
当時の社会は、内地では、現在よりもさらに家制度の縛りが強かった。農村部と都市部ではやや事情が異なっていただろうが、ここでは前者を中心に据えてみる。
家の存亡に係る状況ともなれば、「姨捨て」「間引き」「神隠し」「丁稚奉公」などの口減らしが必要と考えられてきた。前借りと引き換えに娘を女衒に渡すことも、選択肢の一つだっただろう。相も変わらず貧困が娼婦の供給源だった。
朝鮮半島における宗族制に関しても、実態として、同様でなかったか。

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