どんぐり

先日県道を走っていると、道路脇で何やら拾っている人がいる。前にも何回か見た記憶がある。気になっていたものの、止まるに至らず、通り過ぎていた。
今回は、母親らしき人と幼い女の子が三四人いたので、興趣が増したらしい。思い切ってバイクを止め、何をやっているのか聞いてみた。
拾っていたのはどんぐりで、女の子の持っていたビニール袋に相当な量が入っていた。私に向かって、どうだと言わんばかりの表情が宜しい。
私の場合だとこうはならない。独楽などにして遊ぶだけなので、たいてい数個あれば十分である。余計な事とは思ったが、目的を尋ねてみると、猪の餌だという。これで量については納得がいった。
猪を飼っているのかと確かめてみると、腑に落ちないような表情をする。どうも話が通じていない様子。
母親が猪を捕えるために檻の中で使う餌として集めている趣旨の説明をしてくれて、氷解した。
この辺りの山中では、今年もどんぐりが不作らしい。こうなると冬眠を控えた熊や、厳しい冬を越すために栄養を蓄えたい獣が里近くまで出てくる。
そう云えば、やはり去年もこの時期だったか、那比で大物の猪が檻で捕えられていた。私が訪れたのが捕獲直後だったらしく、檻の周りに血が滲んでいた。その時には餌を何にしたのかまでは思い至らなかった。
これらからしても、獣たちとの格闘が一過性の問題ではないことが分かる。秋も深まり、農作物や山の幸が実る時期である。人間が自然の恵みを独占するのはどうかと思うが、脳天気に「人と獣の棲み分け」を主張するのは、実際に畑をやったことのない人の言いぐさで、納得がいかない。実際に獣害を受けると、そんな暢気なことは言っておれない。
既に林政が破綻し、山は整備されない杉桧で覆われている。どんぐりなど広葉樹が激減してしまった。獣がやっていける場所が充分でない。なのに、暖冬化で冬場を越すことが容易になった上、狐など天敵となる動物が少なくなっている。
数が増え、生息域が狭くなっているのであるから、ちょっとしたことで獣が里へ出てくる。猪、鹿、猿に加え、テンやシクマから烏に至るまで、次から次と農作物を狙う。駆除を含め、根気よく対処するほかない。決して田舎の風物詩ではないのだ。
女の子の一人がじっと私を見て、見た目より声が若いと褒めてくれた。彼女には私が八十代に見えたらしい。これにはちょっと不満だったが、素直な感想だろうから、文句は言えない。母親がたしなめるように訂正してくれて救われた。ただし、彼女が私を何歳ぐらいに見ていたのかは聞かなかった。

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