かりん糖

まずどのような字を選ぶか迷う。「花梨糖」はかりんの花を思い起こして誤解されそうだし、「かりんとう」とも思ったけれども、甘いところを出したいので「かりん糖」に落ち着いた。日本語はややこしいとみるか、豊かとみるか。
中学生になったばかりのおっとりした少女がはっとして、したり顔をしてから、黒飴を一つくれた。私がかりん糖を好きなことを知っていたので、黒糖の味を思いついたそうだ。彼女の前で食べたことがあるのか、ただの話から連想したのか分からない。
私は播州平野の東端で生まれ育った。何かにつけ、かりん糖を食べていた。今の子はふんだんに菓子があるからか、長年にわたって何かに拘るということが少ないように見える。
私の記憶では、一つ一つが大きくて堅かった。親指より太いぐらいで、捩じったものが印象に残っている。やはり黒糖の衣がついていた。
短冊状もあった気がする。やはり大きくて硬く、少しだけ捩じってあり、白砂糖を溶かしたものが塗られていた。今思うと、姫路のかりん糖だったようだ。
八幡ではかりん糖を製造しているところを知らない。私がよく手にするのは、なぜか東京や名古屋でつくられたものが多い。
これらはいずれも軽くて、カリカリないしガリガリと簡単にかみ切れる。生地に工夫があり新しい油でじっくり揚げているからだろう、油臭いと感じることは稀である。齧ったところを見ると穴だらけになっている。次々に手が出て、どうしても食べすぎる。
それでも、昔と比べれば沢山は食べられない。少しでも度を超すと胃が重くなる。上手に揚げてあるとはいえ、油菓子だからだろう。油がジュワッと染み出るものもないではない。
近頃こちらのスーパーでは、様々なタイプが売られている。客層に年寄りが多いからか。よく見ると、姫路の業者が製造したものも並んでいる。懐かしくて、どうしても手が出てしまう。
食べてみると、やっぱり堅い。黒糖は見た目にごつく、洗練されているとは言えないが、そんなに甘くない。白砂糖もきれいに溶けて厚さと釣り合っており、性根が入っている。それほど油を吸っておらず、香ばしい小麦の味がする。手を抜いていないことがわかる。私のソウルフードと言うつもりはないが、これはこれで安定したおいしさがある。
近頃の私の経済では、決して安いものではない。散歩の途中、ふと頭に浮かぶときに懐具合がよければ買ってくる。かりん糖には相当な歴史があり、高級なものもあるが、庶民に広がったという意味なら駄菓子と言えるかもしれない。
そうそう、ほかの場所でも私が好んでかりん糖を食べる話が出たことがある。結構知られた情報らしい。

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