過ごす

生きていくのに「食」は欠かせない。動詞だけでも「食べる」「食う」「食らう」「食す」などの用法がある。これらはいずれも送り仮名で区別する。漢字仮名交じりを使う以上は避けられまい。
「行く」は連用形が「行き-て」で、ツ音便なら「行って」となる。「行う」は連用形で「行い-て」となり、音便がやはり「行って」で同じになってしまう。文脈を別にして、「行って」だけでは、どちらか分からなくなる。従って「行なう」と送れば、「行なって」となり誤読を避けられる。これなら多めに仮名を送る意味はある。
この歳になってもまだ送り仮名で間違える。この間、「過ごす」とすべきところを「過す」としてしまい、恥ずかしい思いをした。なるほど「過ごす」が誤解されずに分かりよい。
ただ、なぜ間違えたのかを考えてみたが、すっきりした答えが出てこない。
原則を優先すればこのような間違いは避けられるが、結構多くの誤読が生まれる。これを避けるためになるべく多く送る方式を採用しているので、ややこしくなってしまった。少し拘ってみよう。
「過」は「有過」「過誤」「過失」なら「過ち」だし、「経過」「過渡」「過去」なら「過ぎる」となる。「過ごす」は本邦での新しい用法かもしれない。
私は「休みを楽しく過ごす」というような文例で「過す」と書いてしまった。活用語尾を加えただけの形になったわけだ。これでもよいはずだが、ちょっと昔風かな。文脈によってはこれでも良さそうな気がするものの、漢語音を使う場合があるので、不安がある。以上まとめてみると、
1 「過ち」「過り」は「過つ(あやまつ)」「過り(あやまり)」の連用形が名詞になったもの。名詞なのでこのように送る。
2 「過ぎる」は、かつてガ行上二段に活用して終止形が「過(す)ぐ」であった。ところが今はガ行上一段に活用し、連用形に「る」がついたとすれば、確かに「過ぎ-る」と送る意味はある。
3 「すごす」は、サ行四段に活用して言い切りが「すご-す」となっているのであれば、原則として活用語尾だけを送ってよいわけだが、他に誤解を招くような用語があれば、それと区別するために多めに仮名を送り「過ごす」となる。ただ、そのような用例が浮かばない。「過ぎる」「過ごす」と対比しやすいからだろうか。
「起す」は「おこす」で、訓で読む場合なら「起こす」とする必要がないように見えるのに、やはり「こ」を送っている。古川の「起し太鼓」も「起こし太鼓」と書かれる場合がある。「起きる」と対比して、区別しやすくするのだろうか。私は慣用を優先したい気になっている。
必然性のないものは、なかなか耳に入ってこない。頭に叩き込むしかないか。

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