「寒水」の読み方

地名は読み方一つにしても配慮が必要である。日ごろ慣れ親しんでいるし、何とはなく誇りに思って生きている人が少なくない。先月の始め、「訓読みと音読み」(2016年07月04日づけ)というテーマで、「寒水」の読み方に言及した。
同じ場所に長く住んでいると、いろいろな因縁が生まれる。私はふらふら流れてきた人間なので一代目である。従って、何代にもわたるつき合いには入り込めない。初めからそんなことは望んでいないし、あるがままである。
ただ、ここで子供を授かり、孫もできた。長く暮らせば暮らすほど、どうしても二代、三代のつき合いになってくる。地名の話にしても、人の顔が浮かんでしまう。
まだ確信にまで至っていないのに書いてよいものか迷っている。お世話になった人とは異なる意見に傾いてきたので、決意が必要なのである。
何でも、公式史料で「寒の水」とする用例があるらしい。江戸時代末か明治に入ってからのものという。あえて異論をはさむようで気が引けるが、郡上における行政や文化圏の線引きに欠かせないので少しばかり検討してみよう。
1 「かのみず」説では、「寒の水」を根拠にするわけだから、「カンのみず」から「かのみず」に変化したことになりそうだ。
「の」が加わったとすれば、漢字音「カン」の一部を借りて、「ン」が抜け落ちたことになる。確かに仮名で「ン」は抜け落ちてしまうことがあるとしても、「寒(カン)」は仮名ではない。「カン」の一部を借りたとして、この「カ」に「寒い」「冷たい」という意味が残るだろうか。
ただし、古くまで遡れば、「滿(マン)」の音に母音が加わって「マニ」と読む例などがある。これからすれば、「カノ」となっても不思議はないかもしれない。ただこの場合は、「の」を加えないで「寒水」のまま「かのみず」と読みそうなので腑に落ちない。
「マニ」の例では、例えば「観音」が「かんのん」ではなく「かにおに」などと読まれていたというような解釈は難しいと思う。
だんだん仏教の影響が強くなるにつれて、実際に「ン」が広く発音されていたのではあるまいか。
2 「カンのみず」とすれば、「新町(シン-まち)」「本町(ホン-まち)などと同様に重箱読みである。ただし、八幡の新町は既に十七世紀の地図に記録されているから、重箱読みとしても新しいとは限らない。
3 とは言え、近隣の地名を振り返ってみるに、重箱読みや湯桶読みは多くない。やはり訓読みが多く、音読みがこれに続く。
「寒水」という表記がどの辺りまで辿れるのか確かめる必要があるとしても、「カンスイ」という音を大切にする意味はある。

前の記事

お盆休み

次の記事

会意字