会意字

題名を読んで構えてしまう人がいるかもしれない。実は孫が小学校六年生になり、夏休みの宿題で六書について触れているところがあった。
学校の進み方がそれぞれ違い、夏休み前に習った子と習わなかった子がいるそうな。彼はまだ習っていなかったようで、ぶつぶつ言いながら、もがいていた。そろそろ自我の芽が出ており、なるだけ自分でこなそうとする。
但し、六書全てを自力で理解するのは難しい。仮借や転注はややこしいので、今回は避けておく。
象形は「山」「川」や「日」「月」などで、目に見えるものを絵に描き、字の形が残るぎりぎりまで画数を減らしたものである。
形声はまた象声と呼ばれ、意味符と声符を組み合わせたもの。例えば「飯」「洋」の場合、偏がそれぞれ「食」「水」の意味を表し、つくりで「反」「羊」の音を表す。
指事は「木」の上下にその場所を示す目印をつけて「末」「本」、「一(大地)」の上と下にやはり点をつけて「上」「下」となるなど、表したい意味を指し示す方法で字をつくる。
ここら辺りまでなら、何とか理解できた風だが、次が問題の会意字である。
彼はこの用法が腑に落ちないようで、説明してもらいたい素振りをしていた。教材で出されている文字は、「信」「鳴」と「明」だった。
彼が「イ」に当たるところが「人」だと知っていたのかどうか、とにかく「人」「言」の意味が両方合さって、「信」の字が出来上がることに驚いたようだ。
昔も嘘をつく人はいただろうに、人が言うことをそのまま信用するなんぞ、古き良き時代だったということか。これだけではまだ彼には心底分かったということにはならない。
「鳴」についてはいくらか見当がつくようだった。「鳥」「口」が合さって、鳴いたりさえずっていることを連想させようとする。この字だけでは実際にどんな鳴き声なのか分からないが、まあ字の作り方の一端はつかめたようである。
どうやら同様に「吠」も「口」「犬」の会意らしい。中国古代で犬がどのように吠えていたのかまではよく分からない。
「明」は「日」と「月」だから、どちらも明るいので、割合すんなり理解できた体である。
因みに口偏の会意字は「吉」「右」「名」「君」などで、どう言う意味が合さっているのかそれぞれ調べる他ない。
「吉」は「士」「口」、「右」は「ナ」「口」の会意で、前者はいろいろ解釈できそうでかえって意味がはっきりしないが、後者は「ナ」が右手なので口と手を使って助けるという意味になる。

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