図書館通い

今思うと、寒くなってきてからだと思う。しばらく遠のいていた図書館へよく出かける。何とはなしに行くことが多いが、気になっていることを調べるのに本棚が思い浮かぶこともある。近ごろ何で通うようになったのか、いくつか訳がある。
我が家はファンヒーターと昔ながらのストーブを併用している。細民のこととて、暖房すら思うに任せない。一日中つけているわけにはいかないのだ。
数年前だったかずいぶん灯油が高い時があった。去年は少し下がって、存分とまではいかないとしても、それなりに温まることができた。今年は、去年より少し高い印象である。
かくの如く昼間もストーブを使うというわけにいかないので、いろいろ工夫している。
熱いコーヒーもすぐ冷めてしまうし、手足の指が冷たくなって思うように動かない。こんな時に思い浮かぶのが暖房のきいた喫茶店である。喫茶店へ行くことが贅沢なのは重々承知しているが、若い時からの習慣になっている。
八幡は観光地ということであちこちに喫茶店があり、自分に合ったところへ行けばよいだけだが、観光客を相手にしたものや若者向けは入りにくい。近ごろは、たまに遠くの友人が訪ねてきたときに郊外型の店に入るだけである。行きつけの店もなくなってきたので、なかなか一人で入るという気分にはなれない。
てなわけで、暖房設備が整っている図書館が思い浮かぶのだろう。本を読んでいる間に体が温まってくる。極楽、極楽。眠気を催すこともないではない。
この前何気なくタイトルを探っていると、はたと釘付けになる本があった。手に取りぱらぱらめくっていくうちに、長年探し求めていた情報が盛られていることに気がついた。金鉱を掘り当てたような気分になった。
直ちに借りることにしたが、貸し出してくれるか不安。たずねてみると、よいとの返事。ただし稀覯本なので、カウンターへ返却してほしいとのこと。
今、手元においてある。昼間も夜も、なめるように読んでいる。『美濃國史料 郡上篇』(昭和九年刊行)というもので、郡上の主だった寺社の史料を丹念に集めている。
誤字脱字も少なく、字の大きさなど細かな点まで行き届いており、よくできている。今では考えられないほど情報が集められており、地方史にかける意気込みを感じ取れる。戦前の出版ということで、皇紀など古色蒼然としているところも含め、古典として読んでいる。
まさに「犬も歩けば棒に当たる」というやつだ。誰かに聞いていれば簡単に出会ったかもしれないが、なにせ鼻っぱしが強く、誰の意見もきかないところがある。
してみると、生きていればこんなことがまた起こるかもしれないということか。単なる愚かな禿ならではの出会いかもしれない。