黒い屋根に白い雪

年末から正月にかけて穏やかな天候に恵まれた。孫を促して初詣に出かけた折はまったく雪がなく、拍子抜けだった。先週に入っても、うっすら薄化粧をしていることがあったが、積もっているというほどではなかった。
冷えるので起き抜けに窓から外を見ると、案の定雪が積もっていた。まだ数センチだったものの、雪かきが気になったので玄関を開けてみるとすっかり溶けていた。地温が暖かいからだろう。してみると、裏の屋根にある雪は北に面しているので積もっていたことになる。
この歳になると、雪が嬉しいということはない。それでも、山川の景色が一変するのを見るのは悪くない。あの山を見たい、川のあの辺りを見たいという欲がある。雪は白いのが美しい。寒さをおしてスケッチをしたいとは思わないが、走馬灯の一場面として、目の奥に残して置くぐらいなら腹もたたない。
今からすると、これは始まりに過ぎなかった。一昨日も昨日も降り、今日も結構降っている。郡上もまた大雪の気配だ。
日本海の水がシベリアから吹く冷たい風にのり雪としてやってくる。郡上は、白山の陰に隠れているので、多いと言っても北陸ほどではない。ただ雪雲が白山の南や琵琶湖の方へ流れると、思わぬ大雪になったりする。
我が家の雪かきは、二軒分だ。幸い屋根の雪まで下すことはないが、家(や)ぐろは仕方がない。我が家の前が通学路になっており、朝早くから雪かきをする家が多い。
仕事場として借りている家も、相当広い区域を綺麗にしなければならない。この「ならない」という言葉が微妙である。
仕事場なので玄関先を退けるのは欠かせない。が、家横の雪がやっかいなのだ。面積が広い上、日当たりが悪く雪解けがよろしくない。
こうなると体力や腰の具合が問題になってくる。腰がだるくて重く、休み休みやらないと堪えられない。腹筋や背筋は継続して鍛えているけれども、能力を超えている。近ごろは、余力のある時だけやることにしている。
雪かきについても、高齢者が多くなって勢いがなくなっている。市の財政が逼迫しており、公に頼むことも気が引ける。体が動く限りやるつもりでいるが、いつまでやれるやら。
これを読むと私が雪かきを鬱陶しいと考えているように感じるかもしれないが、そうでもない。ぼちぼちやっていると、けっこう隣近所の人と顔を合わすし、普段挨拶しない人でも声をかけてくれる。この地の自然を共有しているという感覚があるのだろう。自分たちが横並びで、美しさやら辛さを感じ取れるということかもしれない。さあ、いよいよ始まった。

次の記事

負けずに嫌う