鹿倉(かくら)

これをテーマにして書くことは迷った。すでに結構広がっている解釈があるし、私もそれほど不満があるわけではない。ただ、少しばかり腑に落ちない点がある。
鹿倉は「かくら」と読む。正保郷帳(1645年)では「麻倉村」だが、岩瀬文庫本の同郷帳では「鹿倉村」となっているし、寛文年間(1664年)の人足書に「新中閒鹿倉村惣助」とあるので、ここでは鹿倉村を原形と考えている。
さて、これまでの解釈で「倉(くら)」は地元で「ガンクラ」など岩を指すとみられている。これがそのまま語源まで遡れるのかは別として、これに疑問を挟む例はないようである。
「鹿(しか)」は、この辺りでカモシカを「クラジシ」「クランボ」と呼ぶことから、カモシカとして理解されることが多い。ご存知のようにカモシカは偶蹄目で、爪が割れており、相当な岩の崖でも簡単に移動する。
この解では、「鹿」をカモシカとして、音のみならず意味をも表していることになる。小那比にも「鹿倉洞」という小字があるらしい。これはこれでりっぱな説である。
ただ、私は「山家(やまか)」を「山鹿」、「香島(かしま)」を「鹿島」など、「鹿」を仮名のように使う例が多いので不安をもっている。仮に「カモシカ」を鹿と呼んでいたとしても後に敷衍した可能性があるし、鹿を「か」にするのは不便な気がする。
『広辞苑』では「かくら(狩座)」とし、猟場と解している。つまり「狩(かり)-座(くら)」から「り」が省略されて「かくら」になったとするわけだ。これを根拠にするとしても、「鹿」を「か」として音借していることになる。
この間、白川に「鹿折(かおれ)」という地区があることを紹介した。板取では「川浦」、馬瀬では「川上」と書くので、「かは-おれ」から「か-おれ」になるという仮説をまとめておいた。
「河(かは)-原(はら)」が「か-はら」に、「河(かは)-辺(べ)」が「かべ」になるとすれば、「河(かは)-合(あひ)」が「かはひ」になるのもこれに近いかもしれぬ。
同じように、「鹿倉(かくら)」が「河(かは)-倉(くら)」に遡れないかと考えてみた。この場合でも「倉」は岩倉ないし岩そのものと考えている。オンボ谷と東洞(ひがしぼら)が鹿倉で合流して和良川となる。谷には相当険しいところがあるようで、川筋にせり出した岩が相当続くところがあるらしい。
「かり-くら」では略し方がピンとこない。これを「かは-くら」とみて、「かくら」に音変化したと考えてはどうか。「かは」なら日ごろ誰でも目にするわけで、省略に違和感がない。これにしても用例が他に見当たらないので自信があるわけではないが、密に「鹿(か)-沼(ぬま)」もまた「川(かは)-沼(ぬま)」ではないかと考えている。私としては、このようにも考えられるということを書き残しておきたいのである。

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