牛道谷

郡上に牛道谷という地名がある。地元の者でさえ、こういった地名があることを知る人は殆どおるまい。ましてこの地区に関わりのない人なら思いもよらないだろう。
少しばかり説明しておく。長良川鉄道の相生駅から西方となる那比へ行く途中、亀尾島へ行く別れ道付近の高橋という地区にある。那比川の右岸にあり、新道が左岸にあるから対岸にあたる。現在では人気のないところになっているが、かつてつり橋がかかっていたことがあるそうだ。
ちょっと聞けば何の変哲もないこの地名を取り上げたのは、高賀山信仰に関連しそうだからである。高賀山で牛はタブーだ。高賀神社や、粥川の星宮神社でも非常に厳しい制限を設けてきた。「牛返し」という地名はこれ以上牛が入れないところであるし、新宮神社縁起で牛は鬼として退治される対象になっている。かくの如き土地柄にあって、この地名は不思議な感覚を呼び起こす。
旧道は那比川の右岸を通っていたという考証がある。あれこれ状況証拠を集めてみれば、確かにその可能性が高い。
相生の門原から新宮本宮のみならずタラガ峠まで凡そ右岸を通じていたらしい。この右岸に牛道谷があった。歩危は少しばかり遠回りして通ったようである。
それではなぜ高賀山の懐にあたる地に牛道谷があるのだろう。これはしっかりした小字なのでかなり遡れるように思われる。
私はこの地名が大日信仰と関連しそうな気がしている。この辺りで大日如来は牛の守り神とされる。ところが、那比新宮参道口辺りにあった大日堂の大日如来が川に捨てられてしまう話が残っている。高賀神社でも大日如来は零落していたようだ。
高賀山における大日信仰はすっかり衰退してしまい、鎌倉時代後期あたりから薬師や虚空蔵信仰にとって代わられたようである。
これと共に牛をタブーとするようになったのではあるまいか。牛は益獣であって基本人に害を与えるものではない。実際のところ何故牛が嫌われるようになったのか定説はない。
高賀神社三神のうち「牛頭天王」が中央に祀られている。なんだか、牛を嫌っていることに矛盾しているように見える。牛神が嫉妬で他の牛を嫌うとも思えない。
私は牛首(うしくび)と牛頭(ごづ)を分けて考えている。牛首は越前から伝わった民間信仰で、牛頭は熊野信仰などと絡みつく洗練された体系を持つ。前者が血の気が残る荒々しい雨神であるのに対し、後者は体系化された疫病(えきびょう)神と解している。牛道谷が牛頭信仰以前から伝わる地名としてなら、すんなり腑に落ちる。
そう言えば牛道の「道」には「首」が入っている。牛道谷は高賀山信仰の複雑さを示す地名でもある。

髭じいさん

前の記事

小さな喜び

次の記事

せんべいと紫陽花