古代信仰を時間軸へ

長年温めてきたテーマだ。私の力では古代信仰を時間軸に据えることは難しかったし、力が足りないことを実感してきた。ただ、ここまで来て何もしないで死ぬのも頼りない。片隅に残った滓だとしても、少しは役に立つかもしれないので少しずつでも書いていくことにする。

時間軸に据えるということなので、しっかり年代を確認できる史料を使いたい。ということで、ここでは後漢代に編まれた『説文解字』という辞書をもとに考えていく。

「至」という字なら馴染みがあるし難しいという印象がないので、軽い気持ちで読んでいただけるかもしれない。「至」は「至る」でよさそうで、『説文』では象形字となっており「鳥が飛び、高きより地に至るなり」と説かれている。これは同じ篇にある「不」の「鳥が飛翔し下り來らざるなり」と対照して面白い。

「至」「不」はどちらにしても象形で「鳥」に関連すると解かれている。ところが金文や甲骨文まで遡れば、「至」は「矢が地に至る形」とみられており話がややこしい。ならば鳥に関連するという『説文』の解釈は間違っていたことになるが、他方これが後漢代前後に流行った解釈であることも事実だろうから十分史料価値はある。

諏訪大社のご神体とされる「守屋山(もりや-サン)」が気になっている。三輪山をご神体とする大神(おおみわ)神社からも分かるように、本邦においても、山をご神体にするのは古い形式とみてよい。

「守屋山」の「屋」という字に「至」が入っている。「尸」「至」の会意として、「尸」は「屍」なので、淵源をたどれば「屍の至るところ」となる。人の死後、山中などの板屋にしばらくその屍を収める習俗があったらしい。板屋を建てる場所は、字形からすれば、矢を放ち至るところで占ったのだろう。これが重なれば聖地になることは間違いあるまい。「板屋」「行屋」は仮のこしらえであることが多く、「屋代(や-しろ)」つまり「社(やしろ)」の原形になっているかもしれない。

諏訪大社の最高神官は「守矢神長官」と呼ばれ、ご神体たる守屋山及び諏訪大社上社本宮をお守りしていたたらしい。現在どうなっているのかは知らない。ここで「守屋」が「守矢」となっている点が偶然とは思えない。屍を納める板屋を選定する矢を守っていたことにならないか。

「葛井」と関連しそうな久津神社のご神木は樹齢千五百年と言われており、実見したところ違和感は無かった。「至」が鳥ではなく矢が至ると解してよさそうなので、諏訪信仰の淵源は『説文』の編まれた後漢代より更に古くならないか。これだけでは足るまいから、少しずつ明らかにしていく所存である。                                              髭じいさん

参考のために以下『説文』を引いておく。

「至 鳥飛從高下至地也 从一 一猶地也 象形 不上去而至下 來也」(十二篇上006)

「不 鳥飛上翔不下來也 从一 一猶天也 象形」(十二篇上004)

「屋 凥也 从尸 尸 所主也 一曰尸象屋形 从至 至 所止也 屋室皆从至」(八篇上443)

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