田舎町の囲碁事情

近ごろ将棋は指さないし麻雀もやらない。碁ならまだやっているので、少しばかり八幡における囲碁事情を書いてみようと思う。

この間、いつも行く友人宅で九路盤の囲碁を打ってきた。まだ始めたばかりの人がおり、さっそくやろうと言う。中年の随筆家である。私と打ちたいと言って、碁盤と石を用意していたのには感心した。熱意に押されて、しぶしぶやる気になった。少しばかりルールを説明するや、すぐに打ちたいと云う。ただし十九路では広すぎる。

そこで九路で四子置かせて打ってみたが、さっそく様になっていた。実感をつかみたかったのか次々打ちたがり、続けて三局打つことになる。

四十代に入ったばかりで始めたいというのは珍しいかな。今のところ熱意がありそうなので、それはそれで何だか嬉しい気分になっている。

思い起こせば、随分と碁敵が彼岸へ渡ってしまった。寂しくなって碁を打たなくなったのに、再度打つように励ましてくれた人も亡くなった。それでもまあ週に二三度は碁会に顔を出すようにしている。

馴染みのある人もいるし、近頃新たに対戦するようになった人もいる。何処でかは知らねど私の名前が出るようなことがあったらしく、わざわざ白鳥や高鷲からやってくる人もいて、新たな付き合いが始まることもあった。

打ち続けるとそれなりに楽しみも出てくる。寂しいからやめて、また寂しいから碁を打つというのも変な話かもしれない。

学校へ行っている時間に碁会をやっており若者が来るはずもなく、集まっているのは年寄りばかり。一人欠け、又一人欠けと言う風になって段々心細くなっていく。

先週だか、やはり有段者が亡くなった。結構打っていたように記憶している。手順まで覚えているわけではないものの、何となく碁風が思い浮ぶ。この間彼を偲んで友人と話が盛り上がった。ご冥福を祈りたい。

どうせあの世へ行くのは一人、今碁会で人と打てているのだから贅沢を言えば切りがない。

世代が断絶しているのは事実、これまでの事を思えば自業自得だが、今からでもなんとかならないか。今度、碁会でよもやま話にこれを出してみようかなと考えている。

四十代になって碁を始めようとしている人にはお子さんが二人いる。面倒くさいなどと言わず、しっかり面倒を見ていこうかな。碁の面白さが分かれば、お子さんに教えてもよいような雰囲気だったので、これも又何かの縁になるやもしれない。

若い世代の方が読んでいただけているのなら、あなたも碁を始めませんか。歳をとっても楽しめますよ。                                              髭じいさん

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