足代(あじら)

どう書こうか迷いながら始めている。数週間前にこの足代(あじら)という地名を見つけ、戸惑ってしまった。旧郡上郡大和村の古道(ふるみち)にある小字だ。中々こなれないので時間を置いてきた。この間の事情を整理し、位置づけを試みたい。

古道には「足代(あじら)」の他、小足代(こあじら)、足代山(あじらやま)があって資料の勇み足ということは考えられない。地元の人に直接確認したわけではないものの、「足代」が「あじら」と読むのは確かだ。

気になる点を確かめておくと、主として次の二点。

1 「足代」が「あじら」として、「あし-しら」を原形とすれば、重なっている「し」が消えているだろう。

2 「網代(あじろ)」「能代(のしろ)」「猪苗代(いなわしろ)」と並べて見ると、「代」は「しろ」と訓まれている。とすれば「あじろ」と読まれそうなのに、三例とも「あじら」となっている。「あじら」「あじろ」共にこの辺りの地名では少ない。

1の場合は、「川原(かははら)」が「かはら」など、他に例があるので異論が少ないかも知れない。

2については私の力で説明するのは厄介だが、白石(しろ-いし)、「白鷺(しら-さぎ)で「白」が「しろ」「しら」と変化するし、菅生が「すがふ」「すごう」で「が」が「ご」となるなどの音変化が関連しそうなので、代を「しろ」から「しら」に交替することはそれほど突飛でもない。これは例えば方言などで意味が変わらずに交替しただけなのか、それとも時代をへて意味も変わったのか。

正直言うと、足代(あじら)を見つけた時にはショックだった。順を追って説明すると、去年の三月に、この場を借りて「アジラ会津」というテーマを取り上げてきた。その中でこの「アジラ」が東氏幕下の氏族と思われること、そしてこのアジラ氏の骨折りで農地が回復したという伝承を取り上げた。

従って「アジラ」が氏族名に由来する可能性はあった。確かにそうなのだが、それを含めて「アジラ」を「アジ-ラ」とし、「ラ」を洪水で荒れた「ハラ」の省形とみて「葦-原」と解した。

凡そこのあたりの事情が分かるので、検索してもらえると有難い。画面右上の検索の空白に「アジラ会津」と入力してもらえば簡単に引き出せます。

となれば、古道が東氏の本拠に近いところなので、小駄良の初音で伝承されている話に真実味が出てくると共に、「あじら」に「足代」という漢字を当てて解釈がなされていることになるので、語源の解釈に別視点が生れたことになる。

東氏幕下に足代氏がいたとすれば、その伝承がどうなっているのかに興味が行くし、「あじろ」から「あじら」になったとすれば新たに「網代」も考慮に入れる必要があろう。                                              髭じいさん

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