知らない事ばかり

ここのところ色んな時、様々な場面で自分が知らない事を痛感する。反省して自分を保てる程度なら、時間をかけて乗り越えられることもある。ところが、この歳になって自分が処理できないほど知らない事、分からない事が次々と現れる。これには少なくとも二つの側面がある。

一つは老化で、年を取ることで身体能力のみならず記憶力や思考力が衰えていくことはほぼ避けられない。もう一つはいわば終盤に差し掛かった局面で死ぬまでにもう少し分かっておきたいという欲である。

老化については人それぞれ意見があるだろう。以下は後期高齢へ待ったなしの状況である私と周囲の人の例であって、これを一般化する気もないし、又そのような能力もない。

まず能力の衰えについていうと、視力や聴力などの感覚器官の衰えは言うに及ばず、筋力の衰えで段々背中が曲ってくる。私の周りでは、老眼で見えにくいだけでなく、白内障や緑内障を患っている人が多い。老眼だけなら、老眼鏡を用意すれば大体のところ間に合う。が、ごく身近に白内障で手術をした人、まもなくする予定の人がいる。また緑内障を患い、薬でなんとか進行を遅らせて人もいる。聴覚についても同じで、補聴器でなんとか聞こえる人、耳元に寄せて大声で話さないと伝わらない人も少なくない。

筋力について言うと、歩くことが少なくなって足の筋肉が衰えてしまう。これで散歩へ出ることが面倒な気分になる。腹筋や背筋が衰えると姿勢が保てなくなり、段々背中が丸くなる。これによって既に老化している内臓へ更に負担がかかる。こうなると消化機能に影響が出て、食欲が減退したり胃が痛くなったりする。腸の運動も活発には動かなくなり便秘になったりする。これらすべてを老化現象と一括りにできるのかどうか分からない。適度な負荷をかけて運動すればある程度補える気もする。

もう一つは周りを見回し、死ぬまでにもう少し知っておきたいというやむにやまれぬ事情である。私の人生が若い頃から活発な知識欲で満ちていた訳ではないことが背景にある。自分の拘って来た分野の狭さに愕然とする。一つ一つ取り組んできても、分かることがごく僅か、それも内容に不安が一杯の有様だ。

あれこれ考慮するような場面では老いても若い世代と左程能力は変わらない気がするが、決断力については若い人に及ばない。若い時には「どう生きるか」だったのに、光陰矢の如し、今となっては「どう死ぬか」が毎日頭に浮かぶ。

ここのところ、ルーティンの作業をしても、糸口すらつかめない事がどっと押し寄せてくる。ここら辺りが限界なのだろうが、逆に言えば、一歩進んだので視界が広がったというような意味があるかも知れない。                                              髭じいさん

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