境界線

本日は、主として境界について素描してみようと思う。大きくは国と国の境が国境であるし、州境や県境など大きな行政上の境もある。今でも山の境ではしばしば揉めるし、田畑や家の境もそうだ。
『史記』五帝本紀を読んでいると、「舜耕歴山 歴山之人皆讓畔」という文章が出てきた。「讓畔」と云うところがよく分からない。
「畔」は「あぜ」で耕地の境という意味だろう。「讓」は「譲る」だから、畔を通る時に互いに譲りあうことかなとも考えた。ところが『史記』正義に「韓非子 歴山之農相侵略 舜往耕 朞年 耕者讓畔」とあって、韓非子を引き、歴山で農民が互いに侵略することになっている。舜が耕しに行くようになって、互いに畔を譲るようになったと云う。「朞」は「期」と同字異体で、「ひとめぐり」という程の意味。
韓非子のことであるから歯に衣を着せない辛口の定義をしているだけかもしれないのでしばらく保留していたが、何だか信用できるような気もしてきた。とすれば、随分昔から今と変わらぬ問題があったことになる。
農民が一粒でも米の取り分を増やそうとして畔を少しずつ削り、畔が段々細くなるという話は聞いたことがある。徳に優れた舜が耕作するようになったから、農民が彼を信頼して、畔を削らず譲り合うようになったのではないか。字形から言うと、徳は真っ直ぐな心である。
若いころ、電車から近江平野を見ると、田んぼの多くがコンクリートの畔になっているのでショックを受けたものだ。農民同士の疑念が実物に表れていると感じられて、その時は、愉快ではなかった。
だが、何世代にもわたって平和に暮らすには知恵がいる。毎日顔を合わして生きざるを得ないのであれば、互いに納得した解決法を探るしかない。境界を確定してしまえば、田畑で気楽に付き合うことができる。この確定をコンクリートに求めたのではないか。
もめ事の種を一つでも減らして仲良くやろうとしているのであれば、年をとったせいか、それはそれで良いような気がしている。夢のような共同体幻想はありえないし、また全ての人に舜のような徳を求める事もできない。
都会のマンションなどでは、厚い壁で隔てられた部屋同士の境が妙にはっきりしている気がする。心と心の境もまたはっきり隔てられてしまっているのであれば、少しずつでも、温めていくほかあるまい。