白山奥院(7)

このシリーズも大分進んできたので、これだけを読んでも内容がよく分からない人がいると思う。幾らかでも興味が湧いた人は、バックナンバーを拾っていただけると有難い。
今回は「越-南無-知」の可能性を探ってみよう。サンスクリットで「南無」は帰命・帰敬と訳されるから、祖先である「越知」ないし「越」へ帰命する意となり不自然ではない。
但し、「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」や「南無八幡大菩薩」などで「南無」は語頭にある。語中にある「越-南無-知」の解釈に不安が生れる所以である。
だが縦書きでしかもその間に「南無」を挟む点も、「南」が現にそうなっており、何とか理解の範囲内である。この場合、「南」のみで「ナム」と読むようになった時点で、「無」が消えたと考えられよう。つまり、音の変遷に伴って「南無」から「南」になったという訳だ。
そうすると、「ヲ-ナム-チ」が復元でき、本居説が復活するように見える。だが、異質な語を挟むこの語が「正しき古言」に当てはまるはずもなかろうから、彼にとっては所謂「想定外」の話だろう。
「南無」は仏典が漢語に翻訳された時点から継続して使われている語であり、「越-南無-知」とすれば、その成立時期を特定することは難しい。だが他方で、「越知」は「越」の仮名で「越(ヲ)-知(チ)」だから、仮名の成立に縛られるのではあるまいか。仮名の成立を論証するのは難しいが、私は、これもほぼ五世紀後半より後ではないかと考えている。
従って仏教に関連するのであれば、今のところ、「南」を漢語とし「越南知」を五世紀後半より後の成立と考えた前回の結論を変えるつもりはないのである。

前の記事

観音様

次の記事

空き家