八俣の大蛇(7) -仮借ないし略体-

私は「八口」を「八囗」と解し「八國」とする説に賛同した。これは「囗」が「國」の略体であることを前提にしている。この他、略体については結構重要な場合がある。
高校で日本史を学んだ人であれば、「隅田八幡神社人物画像鏡銘」という史料をご存知だと思う。今週はこれについて幾つかの観点から考えてみたい。
この中に「白上同」「此竟」という表記がある。これは前後の関係からそれぞれ「白上銅」「此鏡」であることは異論がないところだろう。
つまりは「銅」を「同」、「鏡」を「竟」で代用していることになる。「銅」の音符が「同」、「鏡」の音符が「竟」であるから、厳密に言えば音符のみで意味を表しており仮借とも、略体とも考えられる。
この「画像鏡銘」には有名な「日十大王」という記述がある。私は、「白同」「此竟」の用例からして、この「十」を「夲」の略体ではないかと考えている。
「本」は『説文解字』六篇上147にあり、木部六画で「木」「丅」の会意字とされる。これが楷書体で五画の「本」となるまでは自然の成り行きかもしれないが、「本」「夲」は音義ともその出所が異なるから、「本」の代わりに「夲」を使うとなれば俗字に近い用法と言えそうだ。
この仮説が浮かんだのは、『廣韻』で「本」の代わりに「夲」が使われているのに気づいてからだから、もう十年以上も前になる。だが「夲」がいつ頃から代用されていたのか分からなかったし、実例も見当たらなかったので脳裏に眠ったままであった。
ところが唐代の留学生である井真成の墓碑銘が発見され、「日夲」という表記を見た時に幾らか実感を持てるようになったのである。これからすると「日十大王」は「日夲大王」とも読めそうだ。『廣韻』は隋代の『切韻』をモデルにしているから、「夲」を代用することが少なくとも南北朝に遡れることは間違いなかろう。

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