八俣の大蛇(8) -主役-

八股の大蛇を退治した人物について記す段取りとなった。『古事記』は「須佐之男命」で「スサノヲノミコト」とされ、『書紀』本文は「素戔嗚尊」で表記が異なるもののやはり「スサノヲノミコト」である。
だが、これは動かせない事実である、という訳でもなさそうだ。前に述べたように『出雲國風土記』では「大穴持命 越八口平賜而 還坐時」となっている。「大穴持命」は『古事記』で「大穴牟遲神」、『書紀』で「大己貴命」と表され、ここでは一応「ヲナンチ」あたりに解しておく。
つまり『古事記』『書紀』は「スサノヲノミコト」、『出雲國風土記』では「ヲナンチ」だから、主役が異なるということになる。これには無理があると言わざるを得ない。もともと異なる話を同一に解釈してしまったか、あるいは一方を意図して作り変えたかとしか考えようがあるまい。
それでは、いずれにリアリティがあるだろうか。私は『出雲國風土記』の撰述過程からして、仮に「八俣の大蛇」の話が伝承されていたとすれば、これを漏らすとは考えにくい。「スサノヲノミコト」は天孫族で「ヲナンチ」は国譲りした国神族であるから、「ヲナンチ」から「スサノヲノミコト」に主役交代するのは考えられても、その逆は殆どありえないだろう。これは「遠呂智」の表記が「越呂知」から後退した表記になっていることからも理解しやすい。
本来は「越(こし ヲチ ヱツ)」の種族統一譚ないし英雄譚であったものが、政権の移動により主役と内容が変えられたと考えれば、この「矛盾」を解く糸口になりそうな気がする。