八俣の大蛇(9) -高志と越-

「高志」「古志」を「こし」、「越」も又「こし」と訓まれてきたことに不満がある訳ではない。だが「高志」は仮名であるから仕方がないとしても、「越」は音読みが可能である。「越」は仮名で「ヲチ」「エツ」「エチ」などと読める。
「越知」「越智」が「越」の漢語音を仮名化して「ヲチ」と訓むのは呉音であって、一応導入された「越」の漢語音がこれに近い音であったからだろう。呉音は中国南北朝の南朝における音、あるいは中国南部の音という程の意味で、「呉の音」ではない。確認される限りでは、この呉音が最も早く列島に入って来たとされる。
本居翁は『玉勝間』巻九の「つねに異なる字音のことば」という段で、「越王句踐をゑつとうこうせんとよむは、ただ引つめていふ也」として、「越王」の読み方を「ヱツ」という漢音で示している。漢音は律令時代に導入された唐代の音で、「漢代の音」という意味ではない。
また「越前」「越後」などの例では「エチ」と読み、言わば呉音と漢音を併用した読み方をしている。
私は、「越」を「越知」「越智」と仮名化したことから、仮名以前に「越」という漢語の存在があったことを前提にせざるをえない。更に、仮名化された「越知」「越智」が種族名ないし氏族名であることから、もとの「越」を種族名ないし氏族名として復元することに躊躇する必要はなかろう。
とすれば『廣韻』入聲巻五の月十に、「越 又姓 勾踐之後 王伐切」とあるのが気になるところだ。「王伐切」というのは反切と言う一種の発音記号である。
漢語は一語が一音節になる言語で、「王」を声母、「伐」を韻母と言う。呉音となると[wot]辺りだろうから、勾踐の後に越(ヲチ)姓を名乗る者たちがいたことになる。

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