『説文』入門(25) -「世」-

驕れる者もそうでない者も、いずれ久しからず滅びてしまうのが「世の常」である。これを嘆くのも面白いが、今回はまず「世」に取り組んでみたい。
『康煕字典』及び『大漢和』で「世」は一部にあり、『説文』は十部に分類する。まあ、いずれにも言い分がありそうだ。
『説文』で「世」は「世 三十年爲一世」(三篇上039)で、段注は孔安国を引いて「三十年曰世 按父子相繼曰世 其引伸之義也」とする。
これは字形から「世」が三十年で「一代」を示し、段氏は引伸で「父子が相継ぐこと」の意が生れたと解している。このほか、「人の一生涯」や「一王朝」などの用例もある。「代」(『廣韻』『集韻』『韵會』『正韻』)、「一生涯」(『大學』「沒世不忘也」など)、「一王朝」(『詩經』大雅「夏后之世」など)は判然とするが、「父子が継ぐこと」は引伸の義ではっきりしない意味がある。『大漢和』では、以下の用例を引く。
1 「世相朝也」(周禮秋官大行人)
2 「非德不及世」(國語晉語)
3 「取世監門子梁之大盜趙之逐臣」(戰國策 秦策)
4 「世后稷」(史記周本紀)
いずれも確かに父が死亡し子供が立ってその後を継ぐ意味で、大差はないように見える。
だとすれば、これから誤解なく「世々」「代々」の義にするために「世世」の用法が生れたと考えられないか。『三國志』魏書の東夷傳倭人条の「世有王 皆統屬女王國」と『後漢書』東夷傳倭國条の「國皆稱王 世世傳統」では意味がやや異なると思われるからである。
倭人条の「世」は二通りの訳が考えられる。一つは「父子が相継ぐ」で、もう一つは「代」「一生涯」だろう。主語が伊都国であれ女王国であれ、それとしては成立間もないから、「世」のみで「一王朝」は大げさすぎる。
従って、前者とすれば「伊都国の父子が相継いで王になるも」、後者であれば「女王の世、伊都国に王があるも」となりそうだ。卑彌呼は「長大」とされるから、後者も満更ではない。「世」の義が定まらないので、伊都国の「世」なのか女王国のそれなのか分からないが、いずれにしても女王の共立以前には遡れないと思う。
倭國条は字義通り「世々統を伝えて」あたりに訳せるだろう。この場合は、何世代にもわたって血統が伝えられたと読める。