ルーペ

同世代の友人は、新聞や雑誌を見る時に、殆ど老眼鏡を使っている。どうしたことか、私は最近までしっかり見えており、老眼鏡が要るとは感じてこなかった。
ところが、ここしばらく、字画の多い漢字を読むことが難しくなってきたのである。ただ目が疲れているだけで、時間を置けば前のように見えると強がってみたが、どうやらそうではないらしい。
根をつめて勉強する性分ではなかったからか、私は長い時間一心に本を読み続けるようなことも少なく、姿勢を悪くして何かを書くようなことも殆どなかった。一時期髪を長くしたこともあったが、鬱陶しいので、目にかかるようなことはしなかった。おかげか、眼鏡をかけることもなく、それなりの視力は保てたのである。
私は若いときから努力というものを嫌っており、読み取り難いものはルーペを使い拡大して見ることにしてきた。学生時代、不相応とも思えるものを手に入れた時には嬉しかった記憶がある。
私には孫が二人いる。二人とも男の子で、上の子も一歳になったばかりの頃は、なんでも手当たり次第に口へ入れて舐めていた。
彼らの手の届く範囲にタバコやコインは勿論、ごみ箱などもご法度である。ただルーペは、ある程度清潔にしておけば、飲み込むこともないので彼らの自由にさせることにしている。
下の子も同じようにルーペを手にとって眺め、やおら舐めはじめ、それから上下を入れ替えたり覗き込んだりする。これを妨げるといつまでもやめないので、放っておくのがコツである。何やら私の方を見て、不思議な顔をしている。私も覗いてみると、彼の大きな目が見えた。
やっと最近になって、ルーペが字以外にも使えることを実感できた。庭に出て木の葉や小さな虫を拡大してみると、今まで自分が理解していたものとは違って見える。こんな些細なことで見方が変わるというのは如何にも薄っぺらであるが、これは自分の世界に閉じこもってきたせいかもしれない。