連理

もう少し分かりよい題にすればよかったかもしれない。連理はふつう、「連理木」「連理枝」から、二本の木が地上で幹や枝同士つながっている状態をさす語である。
『瑞應圖』には「木連理 王者德化洽 八方合爲一家 則木連理」とある。「王の徳があまねく広がり、八方が合わされて一家になれば、木が連理となる」あたりに訳せるだろうか。中国では古来より祥瑞のしるしとされ、漢代を通じて用例があるし、また魏晉代から南北朝にいたるまで歴史書にも多く記されている。
連理には、また「連理契」の用語もある。連理契は夫婦または男女の契りのことで、深く交わり、一体となって切り離せない強い繋がりを感じさせる句である。
列島においても、「連理木」は各霊地で見られる神木にその痕跡を留めている。神木が一木の高い木だとは限らないのである。
連理した木を神木と仰ぐのは、やはり徳があまねく広がり、平和で穏やかな世を願っているからではなかろうか。また「連理契」から、夫婦など男女の円満を願い、さらに五穀豊饒や子孫繁栄を祈る対象にもなっているだろう。
今私が気になっているのは、越知山の栃の木や白山の千年杉である。前者は幹が下の方で繋がっており見事な連理木といってよいだろうし、後者の千年杉はまた石徹白の大杉と呼ばれ、見方によれば「ひこばえ」をも含む大木である。
直接に白山信仰と関連するかどうか分からないが、郡上市にある星宮神社の神木が連理を連想させるものであるし、高雄神社本殿に向って左手にある神木もそうである。これらは、神の「よりしろ」となる高い一木を神木とする系統とは、信仰の形式自体が異なっているように思われる。
広く調べたわけではないので自信はないが、神木として一通りで分類してしまうのは、人の願いや背景にある文化が見えてこない恐れがある。人が多様であれば、神や木に対する願いも多様である。白山信仰の一つの姿が連理の神木に見られるということかもしれない。

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