『説文』入門(34) -「而」-

私は、「而」という語を軽く見てきたきらいがある。順接にも逆接にもなるが、文脈をみれば、およそ用法の見当がつくと考えてきた。ところが、実際に使うとなると、不安が次々現われる。辛卯年条の欠字を補う準備である。
『説文』では各本で「而 頰毛(頬ひげ)也」だが、段氏玉裁は『禮記』禮運の正義を引いて「而 須(口ひげ)也」(九篇下199)とする。いずれにしても象形字。
音について、段氏は『廣韻』上平聲を引いて「如之切」、『玉篇』『集韻』は「人之切」だから「ジ」「ニ」あたり、『集韻』には「奴登切」で「ドウ」「ノウ」も収録されている。
碑文では用例が六つ。
1 「於沸流谷忽本西城山上 而建都焉」(前紀)
2 「遊觀土境 田□而遷」(永樂五年)
3 「百殘新羅 舊是屬民 由來朝貢 而倭以辛卯年來渡海 破百殘□□□羅 以爲臣民」(永樂五年)
4 「分而耶羅城」(永樂六年)
5 「百殘違誓 與倭和通 王巡下平穰 而新羅遣使白王云」(永樂九年)
6 「王躬率往討 軍到餘城 而餘城國駢口口口口口口那口口王恩普處 於是旋還」(永樂二十年)
1の「而」は順接の接続詞だとしても、解釈は微妙である。「鄒牟王」が主語で、「造渡」と「建都」をつなぎ、「しかして」「すなはち」あたりではあろう。
2の「田□」の「□」は見慣れない字で、あるいは保留して欠字の扱いにすべきかもしれないが、用例からすれば「田獵」と考えてよさそうだ。とすれば「田-獵」をいずれも動詞とみると、更に「而」<and>で動詞の「遷」につないでいる。
3の「而」は「百殘新羅 舊是屬民 由來朝貢」と「倭-以辛卯年來渡海」、5は「王-巡下平穰」と「新羅-遣使」というそれぞれ主語をもつ文をつないでいる。
4の「分而耶羅城」は碑文中に「古模耶羅城」「古家耶羅城」の用例があり、「分而-耶羅城」とすれば、仮借字とも読める。6は欠字がありはっきりしないが、「餘城國」が後文の主語とすれば、3、5と同じように、文と文をつないでいる可能性がある。
振り返って辛卯年条は、「百殘新羅 舊是屬民」の出だしから、たとえ「而」でつないだ後文の主語が「倭」であっても、いずれ「百殘・新羅」について書かれていると解せよう。欠字の残り具合からしても、「破百殘□□□羅」を「破百殘□□新羅」とするまでは肯首できる。またこの条が「百殘・新羅」について書かれている文脈から、もう一歩進めて「破百殘」「□新羅」を対句とし、「破百殘-□-□新羅」の構成にできないか。私は1及び2の用例から、対句をつなぐ接続詞に「而」を採用して、「破百殘-而-□新羅」と読むことを本線に考えている。ただ、この直前に「而」が使われており、やや重複している印象はある。